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トップページ原爆の絵川には真っ赤な死体が流れていた。相生橋まで行くと山積みした死体に油をかけて火葬していた。

原爆の絵

識別コード NG437
絵の内容 川には真っ赤な死体が流れていた。相生橋まで行くと山積みした死体に油をかけて火葬していた。
作者名(カナ) 天満 サダコ(テンマ サダコ)
作者名(英語) Sadako Tenma
当時の年齢 35歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/8
情景場所 横川橋~相生橋~広島港
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m~4,700m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
(1)
十日市
別院
死体
油をかけて焼くところ
死骸が竝べてあった
横川橋
(2)
油をかけて焼くところ
死体
(3)
(4)
ここから宇品行電車線路
死体収容所
**裏
説明
一.
横川橋を渡り土手を相生橋方面へ迎いました
川を見ると、真赤な死体が次々と流れて来ました
驚きました。道端には死骸が竝べてありました。腸がぐるりと出た人も腦味噌が出た人目もあてられない様子でした進んで相生の袂迄行くと四角(スミ)へ山積みした死体へ油をかけて焼いていました
この世の地獄でした。宇品方面へ歩いて電車の線路を通って行き途中死骸のあるコンクリ建の端が残った建物の中をのぞき見ましたがあの子らしい者が見付からず宇品迄行き向ふの島へ渡っている人の名をあげられましたが居りませんでした。ので五時になったので甥と二人で帰りました。途中トラックの人が長束迄乗せて帰って下さいました
地獄で佛とはこの事でしょう大変有難く感じました。

少しでも参考になればと筆を取りました。
昭和二十年八月八日に姪を探しに中学三年の甥と二人で出掛けました。横川橋を渡ると、この絵の状態でした。まだ<残酷でしたが上手に書けません。何時も話しを始めますと息子が出せ<と云ふので書きました。当時私は三十五才でしたが今九十二才になりました。手が震へるので失礼致します。
姪を探しに宇品迄行きましたが見付からず、遂に帰らぬ人となりました。
天満サダコ
サイズ(cm) 32×40.6
展示の説明文

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