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トップページ原爆の絵ようやく母校にたどりつく。ほとんどの校舎は倒れていて屋内体操場と白鳩記念館がかろうじて立っていた。

原爆の絵

識別コード NG436-11
絵の内容 ようやく母校にたどりつく。ほとんどの校舎は倒れていて屋内体操場と白鳩記念館がかろうじて立っていた。
作者名(カナ) 松原 美代子(マツバラ ミヨコ)
作者名(英語) MATSUBARA Miyoko
当時の年齢 12歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 広島女子商業学校
情景場所旧町名 南段原町
情景場所現町名 段原南一丁目
爆心地からの距離 2,150m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **別紙(絵裏に貼付)

南段原町 爆心地から2.3km
やれやっと母校の広島女子商業学校に帰るのですが、殆どの校舎は倒れていて、ただ、屋内体操場と同窓会寄贈の白鳩記念館が、かろうじて倒壊せずに残っていました。
木がうっそうと繁っていた女子商西側にある比治山鶯谷の登山道からは、被爆した女学生たちが下りてきました。(この辺りには3つの防空壕がありました。)
校舎の一部を借りていた暁部隊の兵隊さんたちが、避難してくる被爆者を体操場内に収容し、治療しました。
松原美代子
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

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