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トップページ原爆の絵「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。

原爆の絵

識別コード NG426-05
絵の内容 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。
作者名(カナ) 宮本 鎤(ミヤモト アキラ)
作者名(英語) Akira Miyamoto
当時の年齢 28歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/9
情景場所 己斐国民学校校舎内
情景場所旧町名 己斐町
情景場所現町名 己斐上二丁目
爆心地からの距離 3,050m
ブロック別 己斐・草津地区
作者による説明 **絵の中
(5)
己斐小学校の校舎内
姉妹の様でした。
ムシロ
カボチャ
ジャガいも
いも
いも
私等が先生に見へるのでしよ足をつかまへて先生足を切って下さいと言ふのでムシロをはぐって見ると二人共焼きだれていました。余分ですか校舎に入るのにくさくって二人共メンタムを鼻の上にぬりマスクをして入りました。
白い上衣を着た人が水をやったらいかん、水をのんだらすぐ死ぬからとさけんで廻って居ました。
不思議と皆さん空缶を持って居ました。
思へば腹一ぱいの水をのましたかったです。
校庭では大きな穴を掘り死たいを山の様につみ火をつけて居ました。そばではアイゴ<と言って泣きさけんで居ました。
**別紙
当時、私は呉市に住み会社は新町一丁目に呉造船工業と言ふ中型造船所で上陸用舟でい鉄・木等を造って居ました。前のばん(八月八日)に呼ばれ当時専務として務めて居られました佐々木専務が朝広島に行ってくれないか(佐々木専務の奥さんが広島の千田町林県会議長の娘さんで長女の方です。さがしに行くのは長女の次女の方で同時県女に行って居られました)早速若い人をつれて朝の吉浦駅で広島迄行かれますかと聞き駅の人もたしかなことは言へないが行ける所迄行きなさと言われ、向洋駅で長い事待たされました(二時間ぐらい)。どないにして広島駅に下りたか未だに判りません。下りて広島駅より見ました処今の福屋しか見えませんでした。
下りて手当り次第県女の生徒さんの事を聞きましたが誰も知って居る人はいません。今に思えば誰が牛田方面に行ったと言ったか判りません。
絵に書いた通り一、二、三、四、五と行き家に帰ったのは夜9時頃でした。未だ判らないとはつれて行った若い人ですが私が思って居た人に電話を入れた所お父さんが出られ兵隊に行って未だ帰って居ないと言うことで今日に至るも不明です。結局県女に行って居た本人は相生橋のたもとでたをれて居た所を親戚の人がつれて帰り手当をしましたが亡くなられたそうです。奥様は女医で瀬野川の病院で週一回出勤。奥様に証明して頂きました。
宮本 鎤       S20.8.9日入市
サイズ(cm) 27.1×38
展示の説明文

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