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トップページ原爆の絵電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。

原爆の絵

識別コード NG425
絵の内容 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。
作者名(カナ) 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ)
作者名(英語) Masao Yamanaka
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/10
情景場所 土橋から江波に向かう電車通り
情景場所旧町名 舟入仲町
情景場所現町名 舟入中町
爆心地からの距離 1,300m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
 私は中学校生徒で学徒動員として爆心地から四キロ離れた江波の三菱造船所に勤務しておりました。
私は窓ガラスの破片で頭部に少し傷を負いましたが大した事はありませんでした。
この絵は現在の中区土橋町から江波に向う電車通りに軍隊が応急的にトタン屋根で被災者の避難場所を作って収容した絵です。
私の姉が行方不明でこゝにも探しにまいりました。
顔も体も赤黒くはれ上り皆同じに見え、誰誰はおりませんかと大声で呼ぶのですが返事はありません。姉は後日元気で見つかりましたが二度と戦争のない地球を望みます。
**裏
山中 雅夫
サイズ(cm) 37.9×53.9
展示の説明文 トタン屋根で作られた応急の救護所
絵/山中雅夫氏
舟入仲町(現在の舟入中町) 爆心地から約1,300m
市内には、負傷者があふれ各地に救護所が設けられました。舟入仲町の電車通りに作られた救護所は、夏の暑い日差しや雨露をしのぐものはトタン屋根のみで、負傷者はムシロの上に寝かされていました。

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