トップページ原爆の絵橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。
識別コード | NG424 |
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絵の内容 | 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 |
作者名(カナ) | 別所 幸恵(ベッショ サチエ) |
作者名(英語) | Sachie Bessho |
当時の年齢 | 20歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)夜 |
情景場所 | 御幸橋 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 2,270m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **別紙 被爆体験記 一.別所幸惠(押印) 一.爆心地より3.8Kで被爆。(原爆手帖記載) 一.当時、20才の私は、会社に出勤すべく、家の中の障子の前に鏡台を置き髪をといてゐた。 8時15分昔の写真撮影の時のフラッシュをたいた様にピカッと鏡の中で光った。 「アレッー」何だろうと思った、とたん、熱風が全身を包んだ。 次は爆風で障子の桟が障子紙をつけたままバラ<と乱舞し、恰も袋入りの割箸が目の前で躍る様に落下してゐた。 障子は、外枠だけになり、気がつくと、私が座ってゐた畳も、鏡も、私もファワと浮いて障子の敷居の上にの乗かってゐた。 家の中は一瞬闇夜の様になり、天井は落下寸前、天井のすす、ほこりを頭からかぶり、黒人の様に眞黒になった。家の中に居れぬのではだしで外に飛び出した。 空を見上げると、きの子雲がもくり<と動いてゐた。広島ガスタンクが爆発したのかと思った。 米軍発表のきの子雲は白黒カラー時代の写眞であるからきの子雲は静止してゐるかの如くみえるが、実際は、もくり<と絶えずうねり次第に大きく拡がり夕方頃には、消滅してゐた。かねがね、何時も私は、思うのであるが何故か、きの子雲の色彩が何色であったか、マスコミも誰も一切、言ってゐない。 宇品地区からみたきの子雲は、銀白色に淡いピンク色を含んでゐた。 破裂した瞬間、爆心地の阿鼻叫喚とも知らず家族三人が束になって炭になって死んでゐたとも知らず、何と美しいきの子雲だと、じっとみつめてゐた。 一.6日の夕方、千田町にゐる姉を気遣い、母と出向いた。 途中、千田公園は被爆者が公園一杯にうずくまり黒こげになった顔は、黒いスイカが肩の上に乗っかってゐる様で顔の凹凸は全くなく目と口だけが辛じて識別出来る穴だけの顔になってゐた。 友人は、千田公園内で被爆した弟さんの方が姉をみつけ、声をかけられる迄黒いスイカの様な弟さんを、全く気付かなかった。 一.軍隊が被爆した民間人をトラックにのせ、千田公園に次々と運び、降ろしてゐた。 公園も阿鼻叫喚の人ばかりで、私はピクリとも、動かない人は死亡してゐると勝手に判断してゐた。当時は人間の死の意味を、戦争末期は麻痺しており涙も出ない感覚であった。死体をよけ乍ら先へと歩いてゐた。途中、「水を呉れ<」と何人もの声をきいた。 一.爆心地方面の火事はえん<と、三昼夜燃え続いた。誰も消し手がいないからである。 一.日赤病院の手前に貯金局があった。その手前に木造三階建の民家があった。この三階建の火の車が電車道に向けて、ドドドと前倒してゐた。 火の車が目の前で倒れるので前進出来ず、熱いのと恐怖で姉の確認を断念した。 一.電車は黒こげで、外枠のまま止ってゐた。 一.馬も黒こげで4つ足で立ったまま死んでゐた。 一.引き返した私共は宇品の軍隊宿舎の土の上で假眠をとった。 一.昭和20年8月6日夜 家は燒れて消失しており川風の涼を求めて、多数の被爆者が呻吟してゐた。 一.戦後当分の間、いわしの目刺しが喰べられなかった。 焦熱の街をのがれ逃げてきた。被爆直後の広島・御幸橋西詰付近 御幸橋 北側のランカンは爆風で 南側に前倒してゐた。 南側ランカンは 爆風で川に落下。 ストンと何もなかった。 御幸橋の人道 電車の軌道 人が通れる巾ほど空けてあつた 電車の軌道 人道 至、専売公社側 一.被爆者がユーレイの様に両手をつき出し腕の皮膚は、はがれ、つめのところでストップしてたれ下がってゐた。打ち掛けの如く、腕の皮膚は裂けてぶら下り、赤味の出た腕の人々を多数、目撃した。 一.髪の毛がこげた人は薪で炊いた黒こげの御飯が頭にかぶさってゐた様であった。 一.まだ<目撃はたくさんあります。 一.リメンバー パール ハーバーか、リメンバー原爆か、どちらが先なのか、私はわからぬまま、老いると思います。 一.戦後20年位、原爆のPTSDが残り原爆のことが頭をかすめると、とたんに両腕の毛穴が浮き、ウブ毛が逆立ち、鳥肌になってゐた。 友人が見つけ「どうしたの、鳥肌になってゐる」と指摘したことがあった。 「又鳥肌にしてみませうか」とくり返しみせることが出来た時代があった。 以上。 |
サイズ(cm) | 29.6×21 |
展示の説明文 |