トップページ原爆の絵病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。
識別コード | NG415-02 |
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絵の内容 | 病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。 |
作者名(カナ) | 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) |
作者名(英語) | TAKAHARA Yoshio |
当時の年齢 | 34歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 広島第一陸軍病院前 |
情景場所旧町名 | 基町 |
情景場所現町名 | 基町 |
爆心地からの距離 | 500m |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | **絵の中 広島第一陸軍病院 Y Takahara **別紙 説明 広島陸軍病院前に行きました。家は全壊。歩く道もなく私は衛生勤務で院内を動くより中でした。止むなく戸坂方面に逃げる事にした。途中病院の勤務員が家の下敷になり頭その他を負傷しているのを見た。何とか安全な場所へと誘導して行きました。 |
サイズ(cm) | 39.5×54.5 |
展示の説明文 | 何とか安全な場所へ 1945年(昭和20年)8月6日 高原 良雄(原爆投下時34歳、絵を描いた時91歳) 【作者のことばから】 戸坂方面に逃げる途中、病院の勤務員が家の下敷きになり、頭その他を負傷しているのを見た。何とか安全な場所へ誘導して行きました。 |