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トップページ原爆の絵大きな煙のかたまりがぐわっとわき上がり赤い色のまじった煙は大きなドーナツ状となった。

原爆の絵

識別コード NG414-02
絵の内容 大きな煙のかたまりがぐわっとわき上がり赤い色のまじった煙は大きなドーナツ状となった。
作者名(カナ) 大澤 タカオ(オオサワ タカオ)
作者名(英語) Takao Osawa
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 安芸郡坂村
情景場所旧町名 安芸郡坂村
情景場所現町名 安芸郡坂町
爆心地からの距離 7,900m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
2
**別紙
私の原爆体験             大澤タカオ
 私は原爆が炸裂するところを見ました。
 呉の空襲で近所の家が全焼したので、家の荷物を疎開させようということになり、行李につめた衣類を大八車にのせて、母と弟と私の3人は母の妹の住む中山まで車をひいてゆきました。八月五日ことです。その日は家へ泊めてもらって翌日八月六日、朝早く中山を出発して空になった大八車をひいて呉へ帰ってゆきました。国道31号線を坂近くまできた時、突然パーッと明るくなったので思わずその方を見ると、海のむこうでギザギザの光が(絵1)パーパーと2~3秒間ひかりました。「熱い!」といって顔をそむけてあわてて草むらの方へ逃げこみました。こゝでさえこんなに熱いのだから、あの光のところは地獄だ!!と思いました。そのあとすぐ光ったところの中空に大きな煙の塊がぐわっとわき上り赤い色のまじった煙は大きなドーナツ状となり、その輪の太さをなぞるように中側から外側へむけてぐるぐるとまわっていました。(絵2)
 見ているとその真中から、スポンと勢いよく別の煙のかたまりが上空にとびだしてきて、その煙は黒味をおびて次第にひろがっていきました。(絵3)
 母があの黒い雲が追っかけてくるみたいだから早く帰ろうといって、空の大八車をひいていそいで帰りました。小屋浦の方まで帰った時、後から走ってきたトラックが私達の目の前で止まってトラックに乗っていた10人くらいの人の中から2人ほど下車されました。
 「たまに広島に行ったか思いやあ、なさけなや」と言われました。衣服はよごれてやぶれていました。(絵4) トラックは残りの人をのせたまゝ呉の方へ走っていきました。陸軍のトラック(色がカーキ色)だったように思います。
 あとで地図で調べてみると、私達がいたのは爆心地から8kmのところ、海上を何も遮るものもなく直射されたのだから熱かった筈でした。私は帰る途中気分が悪くなり、どうしても歩けなくなって、大八車に乗せてもらって呉まで帰り、呉の川原石から電車で私の家のある阿賀中畑まで帰りつきました。私も弟も唇がはれ上り、水ぶくれになりました。母は顔の皮ふが五、六日して一枚むけたと言っていました。
 広島市内での被爆ではありませんが、市外でも私のような体験をした人がほかにあるかもしれません。あの爆弾の炸裂の時の強烈な印象は60年近くたった今も心にはっきりと残っています。
サイズ(cm) 38×27
展示の説明文

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