menu

トップページ原爆の絵姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。

原爆の絵

識別コード NG406-02
絵の内容 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。
作者名(カナ) 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ)
作者名(英語) Yasuko Sato
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)夕方
情景場所 東保健所
情景場所旧町名 新川場町
情景場所現町名 小町
爆心地からの距離 900m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
白骨になっていた姉

(場所)東保健所(日時)昭和20年8月7日 夕方

**別紙
白骨になっていた姉
当時18才と10ヶ月の姉は、保健婦として東保健所に勤めていた。8月6日の夜は怪我人の世話で帰って来ないのだろうと家族の者は思っていた。
そのうち、市内は全滅と聞き翌7日父と私は姉を捜しに保健所へと向かった。不思議な事に途中の市内の様子など殆ど記憶にない。やっと辿り着いた東保健所は崩壊焼失、跡形もない。未だ余燼の燻ぶる中を父は、『タカヱは入所して間がないから受け付けにいた。ここら辺りが受け付けだろう』と指差した、そこに折り重なった二つの白骨を見つけた。「あっ白骨」と叫んで父と私は言葉が無かった。暫くして辺りを見まわすとお弁当箱が散らばっている。良く見ると見覚えのある梅の模様…。直ぐに姉のものだと分かった。それもそのお弁当箱だけ空っぽだ。それは、あの日のお弁当は小麦粉のおだんごだったから転げ出たのだ。他のお弁当箱には真っ黒に炭になって詰まっていた。
あの朝そのお弁当のおだんごを食べているから「今食べたらお昼が無いようになるよ。」と云ったら姉は「お昼は無うても(無くても)ええけえ」と9個のうち3個食べた。
可哀想に本当にお昼は要らなかったのだ。どちらが姉の骨か分からないので二つの骨の一部をお弁当箱に入れて帰った。
佐藤泰子(74才) 
当時 
年令 17才
サイズ(cm) 20.9×25.7
展示の説明文

戻る

Page Top