トップページ原爆の絵水を求める学徒たちの声が倉庫に響く。1人1人に名前を聞いてまわる。死んだ母親の乳を吸う赤ん坊。
識別コード | NG406-01 |
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絵の内容 | 水を求める学徒たちの声が倉庫に響く。1人1人に名前を聞いてまわる。死んだ母親の乳を吸う赤ん坊。 |
作者名(カナ) | 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) |
作者名(英語) | Yasuko Sato |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 広島陸軍被服支廠 |
情景場所旧町名 | 出汐町 |
情景場所現町名 | 出汐二丁目 |
爆心地からの距離 | 2,670m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵の中 水下さい 水!水 水!水 広島県立 第一中学校 一年一組 三宅 等 一等二等の等 広島市尾長町 水!水水水 水水水! 水水水水 水下さい 死んでもいいから 飲まして下さい ひと口ゴックリ 飲ませて下さい 水水水 水下さーい! 水水水 水下さーい 場所(旭町陸軍被服支廠)時(8月6日) **裏 佐藤 泰子 **別紙 私は当時女子挺身隊として陸軍被服支廠に勤務していた。原爆投下後、続々と多くの怪我をした人達が市内から逃げて来た。何棟あったか忘れたが、赤い大きなレンガ倉庫は忽ち救護所となった。私のいた倉庫には県立一中の一年生、山中高女(現広島女子大)、進徳高女と学生が多かった。「水!水!水!水下さーい」の声はレンガ倉庫に反響してワンワンと鳴った。中学生も女学生も並べられた顔は風船のようにふくれ、目はみんな糸を引いた様に細く誰の顔もみな同じに見えた。見習士官の「早く名前と住所を聞いて置く様に」との指示で一人一人聞いて廻った。口だけ動いて聞き取れない者、もうすでにこと切れている者、その中に『広島県立第一中学校一年一組三宅等。一等二等の等。広島市尾長町』とはっきり答えてくれた。それも私と住所が同じなのでハッとした。後でもう一度としばらくして引き返して見ると、三宅君はもう息絶えていた。等と云う字を一等二等の等とまで云って教えてくれた三宅君の気持ちを思へば、どうしてもお家の方に伝えなくてはと、帰り道を三宅君の家を探して報告した。ご両親は只々泣かれた。山中高女の生徒の『死んでもいいから飲ませて下さい。ひとくちゴックリ飲ませて下さい』の“ひと口ゴックリ”は三宅等君の“一等二等の等”と共に今もはっきり耳に残っている。その他、これも一中の生徒だったが、足が熱いからゲートルをといて下さいと云うのでほどいてあげようとしたら皮ふがべったり付いて来る。とうとうほどいてあげられなかった事、又、進徳高女の生徒が「水を飲んだら死ぬるよ」と云うと「お婆ちゃんが来るまで我慢します」と云って飲まなかったその子も暫くして亡くなった。生後7、8ヶ月位の男の子は未だ這い這いをしてゐてお母さんを捜してか辺りを泣きもしないで這い廻っていた。やがてお母さんを見つけ、お母さんの胸を開いてお乳を吸い始めた。見ればお母さんはすでに亡くなっている。それでも男の子は一生懸命吸っていた。翌朝、あの子はどうしているかと行って見るとお母さんの胸に顔を埋めて死んでいた。これ等の事は8月6日が巡るたび57年経った今も鮮烈に思い出す。 平成14年7月30日 佐藤泰子(74才) 当時住所 広島市尾長町 年令 17才 |
サイズ(cm) | 21.2×29.8 |
展示の説明文 |