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トップページ原爆の絵死んだ母親の乳房にすがりついたままの赤ん坊。防火用水槽に頭をつっこんだままの人。川を流れる死体。

原爆の絵

識別コード NG404-02
絵の内容 死んだ母親の乳房にすがりついたままの赤ん坊。防火用水槽に頭をつっこんだままの人。川を流れる死体。
作者名(カナ) 森清 和恵(モリキヨ カズエ)
作者名(英語) Kazue Morikiyo
当時の年齢 19歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中

**別紙
 被爆当時私は十九才でした。戦争とは地獄そのものです。そのことを後世の人達に伝えることが残された者のつとめと勇気を出して筆をとらせて頂きました。どうしても忘れることの出来ない様を絵にすることにしました。
 住んでいた家は平屋だったお蔭で倒壊した家から這いだすことが出来ました。外に出て驚いたのは、目をさえぎる高いものが見あたらないのです。皆くずれてずっと西の方、八丁堀方面まで見渡せたのです。遠くの方に火が出たのか煙がたちこめて赤く見えました。何の爆彈か大変な事になったとぼう然としていると、手を前の方にぶら下げ服もひふも焼けボロボロの人達がぞろぞろとこちらにむけて、又黙々と東の方に東の方にむかっていきます。その内隣組長さんが「皆さん避難して下さい」の声に我に返りました。
 家の前にお寺がありましたのにお寺の姿も見えません。くずれてしまって、でも門は倒れずに残っていました。
 その前で五才位の女の子が「お祖母ちゃんが、お祖母ちゃんが」と泣いていました。お祖母ちゃんは本堂の下敷になっているので皆で協力して出してあげようとしましたが人力ではどうしようもありません。その埋れた中から声がして、「どうか、その子をかるが駅まで連れて行って下さい。駅まで帰れば一人で家に帰ると思いますので」としぼるような声でたのまれました。その子を届ける約束をしてその人はそのままに……女の子の手をつなぐと一生懸命私の手を握って、私の傍をはなれようとしなかったのを覚えています。随分前新聞でそのお寺の門 原爆記念の指定をうけ保存されることになったと云う記事を見まして後世に残されるのだと健気な姿を思い出しました。あれから女の子も成長なさりお元気なら六十才位ではないかとずっと案じておりました。翌日避難の道端のご遺体の中には幼い子が母親の乳房に何時までもすがりついたまゝとか水槽の中に頭をつっこんだまゝの人、水をと手を差し出す人、どうしてあげることも出来ず通り過ぎました。…… 川を渡る橋の上から見た人の流れ、川は水が流れるものなのに、あの日は人が流れて、つらい思いです。今日到底想像もつかない様子です。地獄そのものです。絶対絶対二度とあってはなりません。亡くなられた人々の御冥福を只々お祈りさせて頂き、声を大にして核反対を叫ばなければと強く思います。          かしこ
森清和惠
サイズ(cm) 31.2×23.4
展示の説明文 死んだ母親の乳房にすがりついたままの赤ん坊
絵/森清和恵
1945(昭和20)年8月7日

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