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トップページ原爆の絵疎開していた学校に負傷者がたくさん来た。広島駅では外を見たらいけないと汽車の窓はよろい戸がおろされた

原爆の絵

識別コード NG402
絵の内容 疎開していた学校に負傷者がたくさん来た。広島駅では外を見たらいけないと汽車の窓はよろい戸がおろされた
作者名(カナ) 池田 節子(イケダ セツコ)
作者名(英語) Setsuko Ikeda
当時の年齢 11歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 向原国民学校、広島駅
情景場所旧町名 高田郡向原町、松原町
情景場所現町名 安芸高田市向原町、松原町
爆心地からの距離 1,900m~34,000m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **裏
① 
7月1日呉が焼ケ野ヶ原になりました。
呉工しょうがあるので危い?
小3年~6年生 芸備線井原向原へと私は向原小学校へ学童疎開しました。原爆投下の朝グランドでラジオ体操していた時のこと、グラッと地上が揺れて窓硝子がわれました。
呉とは違って新型爆弾がおちたのヨと知りました。

② 
2~3日して講堂へ被害を受けた人々が沢山来ました。
うなり声も聞こえました。遠くで見ていました。あたりが暗くなるとグランドの隅で木々を井型に組んで煙の出ているのをみました・・・・・。
悲しみにくれました。


いつ頃帰呉したか親が迎えに来てくれ広島駅でのりかえした時市内を見たらいけないとのこと汽車の鎧戸をおろされたまま通り過ぎたこと・・・。
悲しい記憶です。
68才
サイズ(cm) 36.5×25
展示の説明文

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