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トップページ原爆の絵鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。

原爆の絵

識別コード NG398
絵の内容 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。
作者名(カナ) 根本 小夜子(ネモト サヨコ)
作者名(英語) Sayoko Nemoto
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 縮景園近く
情景場所旧町名 上流川町
情景場所現町名 幟町
爆心地からの距離 1,300m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵の中
築田という家(梅肉エキスを作っていた)の庭のまわりで。ごく一部分を描いた
根本
No1130.10
**裏
根本 小夜子
**別紙

 私はこの世で地獄にまさる地獄を見た。爆風で衣服がちぎれ飛び皮膚がはがされ、腕の皮膚は全部はがされて指先にぶら下がっていた。苦しそうなうめき声の中で時折、愛する人の名前を呼ぶ声がもれた 熱風で顔も体もふくれあがって目も口もあけられなくなった人。昼間、死んだ人。夜なかじゅう「苦しい、苦しい」と言いながら、朝、死んだ人。夜のやみの中でやみに消えるように死んだ人。
 私は原爆で学校が完全にメチャメチャにくずれ去り、燃えあがったので、縮景園のそばの川に沿って歩き疲れたところで地面に座り込んで休んだ
 そこには築田多吉(この名前は思い違いをしているかも知れない)の家の庭が近くにあり、その庭には大きな平たい鍋のようなものが大きなかまどのようなものにかけてあった。梅肉エキスを作るための何かだったように思う。その中に庭の近くに流れている川の水を二人の兵隊らしい人が大きな空き缶に汲み入れて何度も運んで来ていっぱいにしていた。

 松葉を入れて煮ると消毒になるからといって、どこからか取ってきた松葉を散らして熱くしていた。
 兵隊らしい人をのぞけば軽傷は私一人だったので「水を下さい」という人に拾った皿状のもので、鍋の湯をさましては飲ませてあげた。私は白い女学生の服を着ていたので夕やみの中で看護婦と間違える人がいて「看護婦さん、看護婦さん」と呼ぶ人があったり、他の女の人と間違えて、しきりに「○○さん」と私を呼ぶ人があったりで「違います」と私の名前を言うと「よく似ているなあ。そうですか。」という男の人がいた。
 翌日の昼頃には死なれた人々は誰が、何時の間にそうされたのか一か所に集められ、並べてあった。「誰か連れて帰って下さい。体がふらふらするので」という男の人もいたけれども、生き残っている人たちは、少しずつ散り去っていった。
根本小夜子
サイズ(cm) 39.3×51.4
展示の説明文

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