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トップページ原爆の絵3人の親子に出合う。服は破れ数歩進んでは立ち止まりその都度幼児は母親を見上げていた。

原爆の絵

識別コード NG396
絵の内容 3人の親子に出合う。服は破れ数歩進んでは立ち止まりその都度幼児は母親を見上げていた。
作者名(カナ) 齋藤 陽(サイトウ ヨウ)
作者名(英語) Yo Saito
当時の年齢 19歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)夜
情景場所 呉市広町
情景場所旧町名 呉市広町
情景場所現町名 呉市広町
爆心地からの距離 23,600m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
星明りの中に見たものは親
子3人である、不安定な歩み
荒い呼吸、又立ち止まる。
今朝より何か口にしたのだ
ろうか、あの時刻より15時
間位い経過している。
行き先は山腹の地下壕しか
ない所である
無事、辿り着けたであろうか
(呉市.JR広駅北側の山腹に)
**裏
齋藤 陽
**別紙
警報の解除により、山腹の地下壕より程遠くない、隊舎(海軍幹部練習生として教育施設にいた、現在の県立広髙等学校は、その跡地の様です)に、下山の途中、山道で何か異状なものを感じ、思はず道を譲った。星明りの中に見たものは、不安定な歩み、と荒い呼吸の幼児と、その母親、老婆の3人である。数歩進んでは、又立ち止まる。その都度幼児は母親を見上げている。母親は幼児の手を堅く持ったままである。唯も何も話さない。着衣は乱れ、一部は破れ垂れ下がって肌が露出している。今朝の第一課の、受講中の青白い光に不吉なものを感じていた。あの時刻より既に15時間位い経過している。幼児は今日何を口にしたのだろうか。私には時間的余裕もなく、何の術もないまヽその場を去らなけばならなかった数分間の出会いであったが、断腸の思いである。あの幼児のご一家も、ご髙齢と推察されるがご健在であってほしい。我が家では、当時の食糧事情をしのび、今年もその日塩豆(大豆)を作ります。あの日の事は、57年後の今日も、私の体には、昨日のごとく鮮明である
多くの方々の、ご冥福をお祈り申し上げます。
H14.7.29
齋藤陽
サイズ(cm) 18.2×26.8
展示の説明文

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