トップページ原爆の絵川土手に出ると川には多くの死体が流れ、川に向かって人がぞろぞろと下りていった。
識別コード | NG392-02 |
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絵の内容 | 川土手に出ると川には多くの死体が流れ、川に向かって人がぞろぞろと下りていった。 |
作者名(カナ) | 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) |
作者名(英語) | Fumiaki Kajiya |
当時の年齢 | 6歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 饒津神社 |
情景場所旧町名 | 二葉の里 |
情景場所現町名 | 二葉の里 |
爆心地からの距離 | 1,800m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **裏 饒津神社横の道 梶矢 文昭 十四年七月 **別紙 梶矢文昭 年齢 六十三歳 六歳の時広島市上大須賀町(一・八キロ)で被爆。当時荒神町小学校一年生。 「原爆の絵(にき津神社横の道)」の説明 家の下敷きから自力で脱出し、すでに目の前に続いていた被災避難者の列の流れのなかに入って逃げようとしました。 一年生が避難の列についてゆく 何も分からず何も考えず それは、何十メートル、何百メートル、いや見える先まで延々と続いていました。上大須賀町から二葉の里に入り、牛田の方へ向かってにき津神社横から川土手道に出たときの光景は今も脳裏に残っています。川を流れている何体も何体もの死者。川に向かってぞろぞろと下りてくる人の群れ。逃れて行く道のすぐ後ろの家から窓をつき破るような火の手が上がってきました。 川へ川へ雪崩のように人動く 死体流れるその川中へ 逃げて行くすぐ横の家の窓枠を炎の舌が舐め上げていく 私は、避難者の列の中について行きながら二葉山裏手に逃れ、夕刻近くまで、炎上する広島市内を見ていたのでした。 |
サイズ(cm) | 39.5×54.4 |
展示の説明文 | 川へ川へとなだれのようにおりてくる被災者 爆心地から1800m 饒津神社(二葉の里) 1945(昭和20)年8月6日 梶矢 文昭(原爆投下当時6歳、絵を描いた時63歳) 絵中解説 後方の家から火の手があがった。対岸の石段を川へ川へとなだれのように下りてくる被災者の群。川を流れていくたくさんの死体。 |