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トップページ原爆の絵練兵場の一角では横長の穴を掘り死体を火葬していた。夜になってもそこだけ野火のように見えた。

原爆の絵

識別コード NG392-01
絵の内容 練兵場の一角では横長の穴を掘り死体を火葬していた。夜になってもそこだけ野火のように見えた。
作者名(カナ) 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ)
作者名(英語) Fumiaki Kajiya
当時の年齢 6歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7~8/8頃(時刻)夕刻
情景場所 東練兵場
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 光町
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **裏
梶矢 文昭 

平成十四年七月二十八日
十三時四十六分了
**別紙
「原爆の絵(東練兵場)」の説明              
梶矢文昭
避難していたところで近所のおばさんと出会い、市内の火がおとろえてくるのを待って、夕刻、父、母を捜しに山を下りることにしました。逃げてきた道を逆に、にき津神社の横を通って二葉山沿いに鶴羽根神社から東照宮まで来ると、辺りは避難者でいっぱいでした。おばさんはおばさんの家族。私は、私の父母を捜して歩くのですがただただ途方に暮れるだけです。うずくまっている人、もだえうめいている人。もう、動かない人。その中を縫うように、時には足をとられながらただ、歩いて行きました。
同じ町内の人に会い、母が軍艦山(現在の鉄道病院向かいにあった小山)の下の方にいて大怪我をしていると教えてくれ、やっと見つけることができました。朝、学校に一緒に行き、同じ家屋にいた姉(当時小学校三年生)が死んで横たえられているのがとても強い記憶として残っています。即死だったそうです。母は、まさに全身血だるまの状態でうめいていました。
体内に何十ものガラスが突き刺さり、その一つは眼球にも入っていました。
眼球にガラス皮膚裂かれいる母も為すすべはなく死線さまよう
絵は、二日目か、三日目か、練兵場の一角に横長の穴を掘り、死体を並べて焼いている火を見たものです。夜になってもそこだけ野火のように見えていたのを覚えています。
もちろん周りには、私たち同様、生と死の境の中でうめき、苦しむ人々でいっぱいでした。
人を焼く油煙が野火のように見ゆ練兵場にまた夜を過ごす
サイズ(cm) 39.5×54.4
展示の説明文

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