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トップページ原爆の絵せん光が走った山の上から茶褐色の煙が入道雲のようにむくむくと勢いよく上っていた。

原爆の絵

識別コード NG381-02
絵の内容 せん光が走った山の上から茶褐色の煙が入道雲のようにむくむくと勢いよく上っていた。
作者名(カナ) 江田 法行(ゴウダ ノリユキ)
作者名(英語) Noriyuki Goda
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 山県郡吉坂村吉木
情景場所旧町名 山県郡吉坂村吉木
情景場所現町名 山県郡北広島町
爆心地からの距離 25,600m
ブロック別
作者による説明 **絵の中

**裏
江田 法行
**別紙
爆心より35キロ離れた地点の情況
当時小学校6年生だった私は、8月6日学校の朝礼だけすませて友達数人と歩いて下校中に一瞬、異様で強烈な閃光が音もなく尾を引くように山上から走ってきたのです。それは恰も大きな鏡で陽光を反射したかのようでした。
“誰だ!いたずらする奴は!”と言い終わらないうちにドドドドーンと地鳴りがし風圧が押し寄せササッとあたりの草木の葉が揺れ動きました。見ると閃光が走った山の上から茶褐色の煙が入道雲のようにむくむくと勢いよく昇っていました。
“今吉田(同じ町の山を隔てた集落)に爆弾が落ちた!”と友達同志叫んで走った。煙は上へ上へと空高く昇っていくほどに火の粉を散りばめたように赤く変化していったのです。
“あの火の粉が降ってきたら死んでしまう!”と言いながら一目散に帰宅した。帰宅後は先生と約束通りに級友と2人で川端の草刈に汗を流しました。
雲一つない炎天下、空気は黄色っぽくよどみ、どんよりとした一日で夕方には焼けた紙片がひらりひらりと落ちてきたことを憶えています。
何処で何が起こったのか、何の情報も入らず地域の大人達は、祇園の軍需工場がやられたのだろう!と言い合っていた。その日の夜になって、3軒隣のMおじさんが市内楠木町に居て片足を大ケガし、誰かに連れられて帰宅され、やっと広島が爆弾でやられたことがわかったことでした。爆心から35キロも隔っているのについ山の向こうと思われた光景とその日のことは、57年経った今も脳裏に焼きついています。
豊平町 江田法行
サイズ(cm) 26.6×33
展示の説明文

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