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トップページ原爆の絵民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。

原爆の絵

識別コード NG373-01
絵の内容 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。
作者名(カナ) 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ)
作者名(英語) IKESHOJI (Kubo) Tomiko
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 広島赤十字病院近くの民家の焼け跡
情景場所旧町名 千田町一丁目
情景場所現町名 千田町一丁目
爆心地からの距離 1,500m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
1
8月7日 天使(子供)の死
子供の人骨
**裏
当時日赤看護生 2年生
池庄司 旧(久保)トミ子**別紙
この五十余年間、一時も忘れた事のない、私の心の中の「天使の子の死」と名づけて想い出しています。絵にはならないかもわかりませんが、お送りいたします。
当時八月六日投下後は、大波の如く被害者が流れ込んで来た日赤病院。院内は足場もないほどのしきり、天井、器具、セメント等で私も勤務場所より玄関に出たのは一時間後。その一時間はどうしていたのか全くわかりません。受傷した身で出来るだけ、勤めとして仕事をしました上司の命もなく。生死もわからないままの行動でした。お腹がすかない一日、だが一番苦労したのは排泄でした。暗くなっては足元がわからず明るい時は院内は人目が多く、ガマンにガマンをしたつもりですが、翌日、苦しむ友人三人と自分を入れて四名で人垣をつくって交代で実行する為、院外の民家のあとに少しでもかげになる所をさがしました。やっと台所の流しのくずれた所を見つけそこへ行った時、子供の人骨を見つけました。それまで、足、手、頭、体、多くの人骨は、ガレキの中に見えるのは沢山ありました。多くは、翌日とあって、まだ半焼の状態が多いようでしたが、子供の人骨を見た瞬間、人骨そのもの無傷で、手はなにか持っていた様子。可哀相、どうしてここで、と。この人骨を見た衝撃は不思議、骨より可愛い子供の顔になっているのです。小学一~二年生ぐらいにおもえました。傷のない苦しみのない顔、どうして、こんな子供がここで…涙も出ませんでした。二度とその場へは行かず八月二十五日帰郷療養命ぜられ、里に帰り治療と栄養補給していましたが、十一月に招集の葉書が来て帰院しました。又、友人と一緒にその場へおそるおそる行って見ますと、子供の人骨は身内に引き取られたのかありませんでした。よかったと思いました。その時場所はちがっていましたが少し近くに小サイ小サイ草の芽が出ていました。投下後、私達には、このガレキの町は、七十年間、草も木もはえないと、耳にしていただけに、ホットしました。ホットした気持はその時、意味もわからず、後日自分勝手に、子供の顔が色々表情を見せるので、よい方に解釈するこの頃です。
だから「天使の子の死」と心にえがいて来ました。絵としてお送りいたします。自分勝手な絵ですが、罪のない子供の冥福を祈って。  合掌
池庄司トミ子
平成十四年七月二十九日
サイズ(cm) 23.7×33.2
展示の説明文 がれきの中に子どもの骨を見つけました。その瞬間は不思議に、骨が可愛い子どもの顔に見えたのです。小学校1、2年生ぐらいに思えました。傷のない苦しみのない顔。
骨は無傷で、かわいそう、どうしてここで、という思いで涙も出ませんでした。11月に同じ場所に行ってみると身内に引き取られたのかありませんでした。少し近くには小さい草の芽が出ていました。投下後70年間、草も木も育たないと聞いていたのでホッとする思いでした。

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