識別コード | NG368-09 |
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絵の内容 | 市民が描いた原爆の絵NG368-09 |
作者名(カナ) | 胤森貴士・トーマス(タネモリ タカシ トーマス) |
作者名(英語) | Takashi Thomas Tanemori |
当時の年齢 | 7歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **絵の中 私は広島の生残者であり、帰化してアメリカ市民となった者です。8歳の私は爆心地から0.7マイルの所にいました。私だけ生き残り、家族6人はみな死亡しました。その日を生きるため、人に追われながらネズミのようにゴミ箱をあさり、16歳で自殺を図り失敗。父の墓前に復しゅうを誓いアメリカへ渡りました。 そして、私はカリフォルニアで、敵と憎む人々のため果物をつみ取る移民労働者となりました。露骨な人種差別や偏見を、いやというほど味わい、真珠湾やバターン死の行進のことなどを幾度となく責められました。それは、復しゅうの炎に油を注いだだけでした。 しかし、50年の歳月を経て、私は復しゅうから赦しへと根本から考えを変えました。人生を通じて広島の意味するものを考え続け、その結論に達したのです。 恐怖と不信は恐怖と不信をはぐくみ、暴力は暴力を生み、戦争は戦争を呼び、果てしない復しゅうを繰り返すのです。私たちが各自の心の闇を見極め、過去の過ちを認め、犠牲者に心から謝罪し、和解することによってのみ、その連鎖を止めることができるのです。 止 胤森貴士・トーマス Down the path toward peace Hiroshima survivor finds inner vision **裏 Hiroshima: Towa No Yume 9/9-46 ― Jiko-Shokai-Self Introduction Date: July 1,2002 A Hiroshima Survivor Takashi“Thomas”Tanemori |
サイズ(cm) | 45.5×61 |
展示の説明文 |