トップページ原爆の絵己斐国民学校は負傷者でいっぱいであった。人々の姿、うめき声は今も忘れることができない。
識別コード | NG365-02 |
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絵の内容 | 己斐国民学校は負傷者でいっぱいであった。人々の姿、うめき声は今も忘れることができない。 |
作者名(カナ) | 桃井 完二(モモイ カンジ) |
作者名(英語) | Kanji Momoi |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)朝 |
情景場所 | 己斐国民学校裁縫室 |
情景場所旧町名 | 己斐町 |
情景場所現町名 | 己斐上二丁目 |
爆心地からの距離 | 3,050m |
ブロック別 | 己斐・草津地区 |
作者による説明 | **絵の中 Kanji Momoi 2002 **裏 桃井完二 **別紙 桃井完二 鎮魂 (1945・8・6。その日、動員先の工場は休電日で、早朝に帰省することとした。私は市中をとおり、己斐を出て、宮島線電車内で被爆。なお当時、旧制広島高等学校在学中であった。) 明けて七日、親族の安否を求めて入市。 己斐小学校は被爆者で一杯であった。 教室でのこの方々の姿、その呻きは今も忘れられない。 もっと悲惨だったが、私の絵筆はすヽまなかった。 ここではただ、ただ、鎮魂の祈りをこめて。 |
サイズ(cm) | 51×64 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕要約 被爆者のうめき 国民学校は被爆者でいっぱいであった。 教室でのこの方々の姿。そのうめきは今も忘れられない。 8月7日 朝 3,050m/己斐国民学校裁縫室 桃井 完二 |