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トップページ原爆の絵家に帰ろうとして3日目に相生橋まで来る。橋の欄干はこわれ川や学校は死体でいっぱいだった。

原爆の絵

識別コード NG364-04
絵の内容 家に帰ろうとして3日目に相生橋まで来る。橋の欄干はこわれ川や学校は死体でいっぱいだった。
作者名(カナ) 河内 政子(コウチ マサコ)
作者名(英語) KOCHI Masako
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/9
情景場所 相生橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
本川国民学校
生存者名簿
相生橋
本川
**裏
 河内 政子
**別紙
 塚本町の我が家へ帰ろうと祖母の制止を振り切って神田橋を渡った。電柱や家はまだ燃えていたし、たくさんの死体の間をかき分けるようにして七日は白島迄、八日は八丁堀迄行く事ができた。
 しかし暑さも加わり、体力も限界に来て引き返した。
 九日やっと相生橋迄行くことができた。橋は下から盛り上って穴がたくさんあいていた。欄干は倒れていてこわくて歩けなくなった。
 元安川 本川は学徒動員で作業中だった男子や女子の学生が、又その他たくさんの人が浮んでいた。
 空をつかみ苦しそうな状態だった。
 母校本川国民学校校庭にもたくさんの死体があった。
 地獄絵そのものの中を三日間歩き回った。
サイズ(cm) 57×54
展示の説明文

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