menu

トップページ原爆の絵負傷者で橋はいっぱいだった。その中で助けを求める中年の女性の姿と叫び声が忘れられない。

原爆の絵

識別コード NG355
絵の内容 負傷者で橋はいっぱいだった。その中で助けを求める中年の女性の姿と叫び声が忘れられない。
作者名(カナ) 加藤 久男(カトウ ヒサオ)
作者名(英語) KATO Hisao
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)14:00前後
情景場所 住吉橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,390m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
八月六日 午後(二時前後?)
学徒勤労動員先の三菱造船所からの帰途。
住吉橋歩道上(川下側)はやっと逃げのびた男女多勢の人で埋っていた。
その中に、助けを求める中年の女性の悲痛な叫びと姿が目にやきつき、救いの手をさしのべなかったことの後悔と共に未だに脳裏を離れないでいる。
焼失したばかりの瓦礫の中に赤茶けて一際目立つ刑務所の壁が印象深く心に残る。
次に通った明治橋上には一人も人は居なかった。
煙と熱気で居れなかったのであろうか。
昼でも薄暗く、私も恐怖と不安の中、息づまる思いで必死で渡ったものだった。
山陽木材
防腐工場炎上
住吉橋
おじさん診療所へつれてって!
刑ム所
加藤久男(当時16才)
‘02('H14).7/26画
**裏
‘02(H14).7/26.書.
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 避難してきた負傷者でいっぱいの橋
爆心地から1400m 住吉橋
1945(昭和20)年8月6日 14:00前
加藤 久男(原爆投下当時16歳、絵を描いた時73歳)
絵中解説
住吉橋歩道上はやっと逃げのびた男女大勢の人で埋まっていた。
その中に助けを求める中年の女性の悲痛な叫びと姿が目に焼きつき、救いの手をさしのべなかったことの後悔とともにいまだに脳裏を離れないでいる。

戻る

Page Top