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トップページ原爆の絵もがき苦しみ川原に座りこむ人々。対岸は大火災で、多くの人が火から逃れようと川に入り流されていた。

原爆の絵

識別コード NG341
絵の内容 もがき苦しみ川原に座りこむ人々。対岸は大火災で、多くの人が火から逃れようと川に入り流されていた。
作者名(カナ) 小出 修(コイデ オサム)
作者名(英語) Osamu Koide
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)9:00過ぎ頃
情景場所 常葉橋下の川岸
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,550m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
広島二中二年生東練兵場で被爆、八月六日午前九時過ぎ頃だろうか、己斐の家に帰ろうと、常盤橋を渡ろうとすると、「渡っちゃいかん、ボウボウと向うは燃えとる危ない」と兵隊さんがおらんでいる。しかたなく橋の下に降りていった。さいわい川岸は引き潮で浅瀬が見えていた。見れば対岸はものすごい火勢で燃え上っていた。大勢の人のウメキ声と、叫び声と、子供を抱えた親が気が狂ったように叫びながら熱い火から逃れて、こちら側に泳いで渡ろうとして、水の中に群れ落ちていた。地獄絵のような阿修羅の巷であった。川原で火傷を負った顔と手を水の中につけると、ヒリヒリとハシル痛みが和らいだ。川原には何百人の人が体を水につけて痛みを和らげていた。ボウボウの髪、めくれて垂れ下った皮膚、中には熱風とガスで腹の中が焼けるのか、ゲーゲーと内臓のドブを口から吐いている人もいた。ワーワー泣きながら、もがき苦しみ川原にしゃがんでいた。その姿はこの世とは思えない惨状であった。
ときははし
頭・顔は脹れて内臓をゲーゲーと。
ワーン ワーン ワーン
小出 修
**別紙
常盤橋下の川岸
八月六日午前九時過ぎ頃
小出 修
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 もがき苦しみながら川原に座りこむ人々。対岸は大火災で、多くの人が火から逃れようと川に入り流されていた。
絵/小出修氏
1945(昭和20)年8月6日午前9時過ぎ頃
爆心地から約1,600m 常葉橋下

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