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トップページ原爆の絵自宅焼け跡を掘り父の遺骨を見つけた。広島産業奨励館前では動員学徒たちが並んで死んでいた。

原爆の絵

識別コード NG340
絵の内容 自宅焼け跡を掘り父の遺骨を見つけた。広島産業奨励館前では動員学徒たちが並んで死んでいた。
作者名(カナ) 松井 妙子(マツイ タエコ)
作者名(英語) Taeko Matsui
当時の年齢 15歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7と8/8(時刻)11:00頃、12:00頃
情景場所 広島県産業奨励館前、研屋町の自宅
情景場所旧町名 猿楽町、研屋町
情景場所現町名 大手町一丁目、紙屋町一丁目
爆心地からの距離 160m~350m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
家は焼け瓦まで灰になり、まだ熱さが残っている。灰の中を必死で手で掻いて掘って見る。
「あっ」白骨が真直に背骨です。また掘って横にもバラバラと小さな骨が。私は気も力も抜けて、そこに座りこんでしまいました。父は倒れた家の下敷に生ながら焼かれてしまったのでしょうか。涙と嗚咽 涙が次々と出て骨の上に落ちてしまいます。腕で涙をぬぐいながら背の骨を一つ一つ手の平にのせて小さな壷に入れました。こんなに小さく灰になったのです。
研屋町。
あちら向いてもこちらを向いても死体ばかり 学徒動員の生徒が一列にならんで死んでいます。真黒でおべんとうも、まっ黒になっています。
中島町、ドームの前
**裏
松井妙子
**別紙
松井妙子 
研屋町 八月八日十二時頃 自宅   
中島町 八月七日十一時頃 ドーム前の方
サイズ(cm) 26.9×38
展示の説明文 涙をぬぐい父の遺骨を掘り出す
爆心地から350m 研屋町(現在の紙屋町一丁目)
1945(昭和20)年8月8日 午後12時ころ
松井 妙子氏(原爆投下当時15歳、絵を描いた時72歳)
作者の解説
家は焼け瓦まで灰になり、まだ熱さが残っている。灰の中を必死で手でかいて掘って見る。「あっ」白骨が真っすぐに。背骨です。また掘って横にもバラバラと小さな骨が。私は気も力も抜けて、そこに座りこんでしまいました。父は倒れた家の下敷に生きながら焼かれてしまったのでしょうか。涙が次々と出て骨の上に落ちてしまいます。腕で涙をぬぐいながら背の骨を一つ一つ手の平にのせて小さな壷に入れました。こんなに小さく灰になったのです。

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