トップページ原爆の絵疎開先から父を捜しに入市する。父の勤め先の中国地方総監府は黒煙を吹き出して燃えていた。
識別コード | NG335-05 |
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絵の内容 | 疎開先から父を捜しに入市する。父の勤め先の中国地方総監府は黒煙を吹き出して燃えていた。 |
作者名(カナ) | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) |
作者名(英語) | HARADA Keiji |
当時の年齢 | 15歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 広島文理科大学(中国地方総監府) |
情景場所旧町名 | 東千田町 |
情景場所現町名 | 東千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,420m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **別紙 中国地方総監府は、二次大戦の末期、昭和20年6月、沖縄戦に続く本土決戦に備え、急遽設置された行政機関である。全国を八区分して、その地方の全ての行政を統括する権限を持つ、いわば地方政府とも言える最高機関であって、配属された職員は総監以下各職員共、当時極めて優秀なエリート達であった。 大塚総監(親任官)のもと、服部副総監(勅任官)と軍需管理局長、総監官房主幹、第一、第二、第三部長が置かれ、被爆当時の職員数は約600名だった。 当日、大塚総監は官舎(幟町東洋工業松田社長宅借上)で迎えの車を待っていた所被爆、応接間の大梁の下敷となり、夫人、令嬢、中学生(三男)の力では引出せず、そのうち火が回りはじめ、最早これ迄と観念し、従容として壮絶な最後を遂げられた。 秘書の父は大火傷を負ったがその後半世紀を生き、不自由な身体を厭わず総監以下職員の慰霊祭を主催し、「中国総監府原爆被爆誌」を編纂した。 合掌 |
サイズ(cm) | 29.7×41.9 |
展示の説明文 |