トップページ原爆の絵被爆した女生徒たちが水を求めてさまよっていた。水をあげようとしたが憲兵に注意されできなかった。
識別コード | NG335-02 |
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絵の内容 | 被爆した女生徒たちが水を求めてさまよっていた。水をあげようとしたが憲兵に注意されできなかった。 |
作者名(カナ) | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) |
作者名(英語) | HARADA Keiji |
当時の年齢 | 15歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)14:00頃 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | 中島町 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **別紙 8月6日午後2時頃、父の安否が気遣われ、母に内緒で半ズボン ポッキリ、母の下駄という軽装で自転車で入市したが、殆ど担ぐ状態で乗れる所は少しでも乗り急いだ。中島町辺で建物疎開作業中被爆した少女達(市女1年生?)に水をせがまれ、大急ぎで与える途中憲兵さんに注意され中断した。そのことが今でも思い出されて、他に与える手だてはなかったかと慙愧の極みである。 合掌 |
サイズ(cm) | 41.9×29.7 |
展示の説明文 | 水をせがまれて 1945年(昭和20年)8月6日 14時ごろ 原田 敬二(原爆投下時15歳、絵を描いた時72歳) 【作者のことばから】 父の安否が気遣われ、母に内緒で半ズボン、ポッキリ、母の下駄という軽装で自転車で入市した。中島町あたりで建物疎開作業中に被爆した少女たちに水をせがまれ、大急ぎで与えていると憲兵さんに注意され中断した。そのことが今でも思い出されて、他に与える手だてはなかったかとざんきの極みである。 |