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トップページ原爆の絵食糧難のためイモ畑になっていた校庭には真っ黒に焼けこげた死体があちらこちらにあった。

原爆の絵

識別コード NG333-05
絵の内容 食糧難のためイモ畑になっていた校庭には真っ黒に焼けこげた死体があちらこちらにあった。
作者名(カナ) 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ)
作者名(英語) FUJIOKA Hisayuki
当時の年齢 12歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)14:00頃
情景場所 県立広島第一中学校校庭
情景場所旧町名 雑魚場町
情景場所現町名 国泰寺町一丁目
爆心地からの距離 900m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
5
日時 8月7日 午後2時頃(推定)
国泰寺中 広島県立一中 校庭
当時校庭には食料不足を補うため芋畑になっていた。校庭には焼けて何もないはずなのに、黒い物体があちら、こちらに、びっくり、眞黒く焼焦げた焼死体だ。強烈な爆風で数十メートル校庭へ吹き飛ばされて“即死”状態だったと思う。“ピカッ”で飛ばされ、“ドーン”で熱風、その後の猛火で耳、鼻、目もなくなり区別出来るのは、頭、胴、腕、足のみ指は焼失、口のみ白い歯で私に何か言っているようだ。
この一瞬にして生命を絶たれた“くやしさ”家族のことを思うと、「ああー」“くやしい”!
※ここの芋を少し頂いた
サイズ(cm) 37.8×53.7
展示の説明文

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