トップページ原爆の絵近所の女学校の塀には生徒の名前が書かれその下には遺骨をのせた瓦が並べてあった。
識別コード | NG332-04 |
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絵の内容 | 近所の女学校の塀には生徒の名前が書かれその下には遺骨をのせた瓦が並べてあった。 |
作者名(カナ) | 小間 義衛(コマ ヨシエ) |
作者名(英語) | Yoshie Koma |
当時の年齢 | 14歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/11(時刻)朝 |
情景場所 | 東観音町二丁目 |
情景場所旧町名 | 東観音町二丁目 |
情景場所現町名 | 東観音町 |
爆心地からの距離 | 1,400m |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | **絵の中 東観音町二丁目 観船橋下ル アイジン愛心女学校前 八月十一日朝 塀に書かれた 女学生の名前。 白骨をのせた 瓦、瓦、瓦・・・・・ ○○○校 防火用水 架橋修道記念 名前のわからない人の骨 **別紙 絵 ④ 八月十一日、広島に帰りました。自宅は灰となり、広島中は焼野ヶ原でした。道路は兵隊さん達が来て下さり、道の整理をして瓦礫の中で、道だけは歩けるようになっておりました。私の近所の観船橋通りにあった愛心女学校という女学校がありました。瓦礫の片付けをしていて、死んだ人の白骨が出てきたのでしょう。瓦の上に一人分ずつ置いてあるのを見て驚きと悲しさ、悔しさで涙がとめどもなく頬をつたい、言葉には言い表わせませんでした。学校の塀に生き残った人の書いた学友の名前を見た時、これが戦争の悲惨さかとつくづく悲しく思いました。私達は十四日広島を出発し、祖母の故郷島根県の六日市町へ行く途中、岩国駅でまた爆撃を受け、九死に一生を得て、いのちからがら岩日線のバスに乗ることが出来ました。 |
サイズ(cm) | 24.8×36.6 |
展示の説明文 | 瓦礫の片付けをしていて、死んだ人の白骨が出てきたのでしょう。瓦の上に一人分ずつ置いてあるのを見て、驚きと悲しさ、悔しさで涙が止めどもなく頬をつたい、言葉には言い表すことができませんでした。 |