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トップページ原爆の絵周囲は火の海となり、火の粉と熱い風に悩まされながら潮が引くのを待った。負傷者が集まり水を求めていた。

原爆の絵

識別コード NG332-03
絵の内容 周囲は火の海となり、火の粉と熱い風に悩まされながら潮が引くのを待った。負傷者が集まり水を求めていた。
作者名(カナ) 小間 義衛(コマ ヨシエ)
作者名(英語) Yoshie Koma
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)15:00頃
情景場所 観音橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,640m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
午後三時頃観音橋と大佛のあった寺
突風起る
水を下さい とにかく水を!
森忠酒店
眞言宗の山門
川水

**別紙
絵 ③  観音橋
八月六日 午前十一時頃より夕方五時位まで―潮の引くまでおりました。
 午後一時頃から二時頃。突風が吹き、火の海となりました。火の粉と熱い風に悩まされながら潮の引くのを待ちました。三時頃になると潮も引き砂浜となりました。どこからともなく怪我をした人々、ヤケドをした人々が集ってきました。夕方頃になると焼けつくした家々は、眞赤な火となり、地獄を見る心地で。この有様は瞼に焼き付いて何とも哀れさと、むなしさで、無気力となり、呆然となっておりました。その時心配していました祖父と祖母が宇品行きの電車の中で、被爆し、少しのヤケドを祖母が皆実町の広陵中学の所より夕方まで一日がかりで観音橋までたどり着き、私達とめぐり逢うことができました―そして夕方遅く、草津の海蔵寺と云うお寺まで歩いて行きましたがケガ人の山で「水を下さい」「水を下さい」と云う水をほしがる弟と被災者の方々の苦るしむ叫び声を聞きながら。海蔵寺の本堂は一ぱいの人で境内で一夜を明かし、午後三時、弟は死にました。
 私は力がぬけて、むなしさと悲しさだけ心にのこり茫然となり…合掌 夕方、地御前に行くよう云はれ(町内会より)軍隊のトラックで地御前に着き。新宮さんの避難所に入ることもできず、電車の線路のそばの松の木の下で十日まで過しました
サイズ(cm) 24.8×36.6
展示の説明文 地獄を見る心地で

爆心地から1,640m 観音橋
1945年(昭和20年)8月6日 午後3時ごろ
小間 義衛 (原爆投下時14歳、絵を描いた時71歳)

【作者のことばから】
火の粉と熱い風に悩まされながら潮の引くのを待ちました。
夕方ごろになると焼けつくした家々は、真赤な炎となり、地獄を見る心地で。このありさまはまぶたに焼き付いて何とも悲しさと、むなしさで、無気力となり、ぼうぜんとなっておりました。

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