トップページ原爆の絵気がつくと屋根の下敷きになっていてかろうじて外に出るとそこは灰色と赤だけの世界だった。
識別コード | NG317 |
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絵の内容 | 気がつくと屋根の下敷きになっていてかろうじて外に出るとそこは灰色と赤だけの世界だった。 |
作者名(カナ) | 深田 利幸(フカダ トシユキ) |
作者名(英語) | Toshiyuki Fukada |
当時の年齢 | 7歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 光徳寺 |
情景場所旧町名 | 皆実町三丁目 |
情景場所現町名 | 皆実町六丁目 |
爆心地からの距離 | 2,680m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **裏 深田利幸 64才 **別紙 爆心地から2.5キロ離れた皆実町3丁目の光徳寺と言う寺で被爆をしました。当時皆実国民小学校2年生で7才。私はいつものように8時頃、学校代用の光徳寺に行き掃除をすませて窓から外の青空に目をやると電線にスズメが2羽とまってさえずっていると言うのどかな夏の情景が目に映って暑くてもさわやかな朝でした。とたんにピカッと光線が、私の目の中を走りぬけていった!!瞬間、あたりは眞暗になり何がどのように起ったのか?急な出来事なので気が動転してしまい身体だけは眞暗くて深い地底に吸いこまれて行くように落ちて行くのが記憶に残っています。気が付いた時には寺の屋根合掌の下敷きになっており、瓦をはらいのけてかろうじて外に出ましたが、そこは今朝の青空ののどかな風景はなく灰色と赤だけの異次元の世界がくり広げられていました。私はただ呆然として360度回転した別世界を全身血だらけと言う表情でまわりをながめていた。それからわれに帰るまでに数分間の時を要する真空帯があったように思います。そのときのイメージを思い出して自画像を描いて見ました。 深田利幸 64才 (追)当時なぜ光徳寺、お寺が学校の代りであったかと言いますと、広島の空も完全に連合軍に制空権を握ぎられており、私達は小学校に歩いて行くのに列を組んで家ののき下を歩かないとグラマン等の戦闘機にねらわれる可能性があったので近所のお寺が学校になっていました。 |
サイズ(cm) | 52×40.5 |
展示の説明文 |