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原爆の絵

識別コード NG314-36
絵の内容 米国のビキニ水爆実験をきっかけとして杉並区から全国に広まった原水禁署名運動について
作者名(カナ) 細井 竹一(ホソイ タケイチ)
作者名(英語) Takeichi Hosoi
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
広島駅で被爆の細井竹一(三原市出身74歳)です
新聞が紹介のプロフィール
2001年8月6日(月曜日)読売新聞朝刊

**裏
細井 竹一 No0

**別紙
原水禁署名運動発祥の本当の姿
米国のビキニ水爆実験の死の灰で汚染されたマグロや牛乳、野菜など生鮮食料品が食べられなくなり、商売や日常生活が脅かされ、国民の中に怒りが渦巻いていた。杉並では魚屋さん、婦人民主クラブの主婦、阿佐谷平和懇談会の人たちが立ちあがり、警官の妨害を受けながらも街頭や各家庭を回って区民の怒りを署名に集め、「水爆実験即時停止、核兵器全面禁止、核兵器の国際管理」を杉並区議会に請願。これが全会一致で採択、決定され、その事務取扱いや署名推進のため杉並原水爆禁止署名運動協議会を発足させ、代表に法政大教授で杉並公民館長をしていた安井侑さんにお願いする。杉並区全域に署名活動が広がり、さらにその成果が都内各区だけでなく、全国に波及して行った。
マスコミや出版物で、よく杉並の署名運動の発祥は「杉の子会」の主婦たちの活動だという。そうでしょうか?上記に書いたように、すでに署名運動のレールが敷かれたあと、公民館で読書サークルに集まっていた主婦グループが安井氏が協議会代表になったこともあって「杉の子」会という名前を付けて、街頭などの署名活動に参加するようになった。このため「杉の子」会が街頭に初めて署名、募金活動をした時のことが当時の会報に載せられている。それによると、経験豊富な婦民ク、民商婦人部、平和懇の人たちの活動ぶりの見事さ、勇敢さなどに驚き、教えられたことが多かったと述懐している。
その平和懇のメンバーの中には広島で被爆した者がいて、チラシの原稿を彼が体験を含めて核の恐ろしさを書き、訴えていた。
このように、事実を正確につかんで行かないと、物事の根本を見誤る事例であることを検証しておきたい。以下の資料はその参考でもある
サイズ(cm) 38.8×27.6
展示の説明文

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