menu

トップページ原爆の絵広島の方向に得体の知れない真っ白い柱状のものがそびえ立っていた。街や比治山は埃に包まれ見えなかった。

原爆の絵

識別コード NG309
絵の内容 広島の方向に得体の知れない真っ白い柱状のものがそびえ立っていた。街や比治山は埃に包まれ見えなかった。
作者名(カナ) 高橋 宏(タカハシ ヒロシ)
作者名(英語) Hiroshi Takahashi
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 東洋工業
情景場所旧町名 安芸郡府中町
情景場所現町名 安芸郡府中町
爆心地からの距離 4,900m
ブロック別
作者による説明 **別紙
原爆の白い柱
高橋宏   
太平洋戦争で既に我國の敗色濃厚になった昭和20年2月頃、学徒動員令により私達中学生は、いろいろの種類の工場に配置され、生産活動に参加することが義務付けられた。私のいた廣島一中2年生5クラス(一組50数人)のうち3クラスが、安芸郡府中町の東洋工業、1クラスが己斐町の航空機関連の工場、もう1つのクラスが舟入町のやはり航空機関連工場へと配置された。
私は東洋工業の組で、最初は大砲の動きを制御する機械の仕上工、次いで飛行機エンジンのピストンとロッドの製造過程で働き、最終の頃は九九式小銃製造の工場へ回されていた。その頃は原材料不足のため仕事がなくなり、私達中学生半数ずつ交替で廣島市内の家屋疎開作業(空襲の際の火災延焼防止)の應援に狩り出されていた。
8月6日には、午前中に工場に残っていた半数の生徒にも疎開作業に出かけるよう準備が進められていたそうだが、私は既に工場の仕事の待機をしていて命令が届かなかった。出発準備をしていた生徒は休憩室(食堂)に集っていた。その時工場内は何れの方角からとも知れず全体が強烈なフラッシュライトに包囲された。何が起ったのだろうと思う数秒の間隔を置いて爆風が襲来し、壊れたスレート瓦が降って来た。慌てて手指で頭を覆い隠れ場所を探しているうちに落下は止まった。頭部の傷は軽くて済んだ。
これはきっと爆撃だろうと屋外の防空壕に飛び込んだものの、何事も続発しないので、のこのこと壕から出て広島の方角をみた時、目前にそゝり立つ柱状の真白い構造物に驚いた。何とも得体の知れぬ柱、こんなものが寸時に建つわけはないだろうから、煙か湯気の柱だろうとは思うものの不可思議なものを見たという思いが強かった。西方には広島の町の家屋や比治山があるはずなのに高い埃に包まれて地上は何も見えなかった。広島全体が火焔と黒煙に覆れたのはもう少し後刻である。
サイズ(cm) 38×26.8
展示の説明文

戻る

Page Top