menu

トップページ原爆の絵義兄に背負われて帰ってきた妹。被爆時は無傷だったが脱毛し血の塊を吐き水を求めながら亡くなった。

原爆の絵

識別コード NG305
絵の内容 義兄に背負われて帰ってきた妹。被爆時は無傷だったが脱毛し血の塊を吐き水を求めながら亡くなった。
作者名(カナ) 冨田 美栄子(トミタ ミエコ)
作者名(英語) Mieko Tomita
当時の年齢 23歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/09/
情景場所 山県郡筒賀村
情景場所旧町名 山県郡筒賀村
情景場所現町名 山県郡安芸太田町
爆心地からの距離 23,600m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
舟入で被爆した妹は三段峡の義姉の子守りの名目で時を過ごした 無傷であった妹は被爆一ケ月後九月に入りカミの毛が多量に抜け寝汗が「おねしょ」した程出ると私の避難先に知らせがあった(筒賀村)
当時はどんな症状があっても原因不明でわからない、後程、原爆症であることがわかった。知らせを受け義兄が峠を通って迎えに行き妹をおんぶしてつれて帰ってくれた。妹の姿を見て驚いた。脱脂綿をタオルで巻きそのタオルから血がしたゝり落ちている、その避難先で横に寝かせた。断続的に出る血しずく、それは牛の肝のような固まりである。
妹は水・・・水・・・水を下さい死んでもいいからお姉ちゃん水を下さいとたのむ
あまりのうらめしそうな顔を見て「それじゃ少しよ」と口に水を持っていった しかし、もう呑んだはずの水は鼻から出た。
なぜもっと早く水がのどを通る時・・・に 未だ悔の残る思いである
血は出尽くして妹はロー人形のようになり、ところ<゙紫斑点が出ていた。
水 水 水 と渇望のまゝ爆死した両親のもとに九月十一日旅立った。十七才の妹であった。
水 水 水 と水を乞ふ声 耳をはなれず
サイズ(cm) 26.5×36.3
展示の説明文 血の塊を吐き、水を欲しがった
1945(昭和20)年9月
冨田 美栄子氏(原爆投下当時23歳、絵を描いた時80歳)
作者の解説
妹は九月に入り髪の毛が多量に抜け寝汗が「おねしょ」したように出ると知らせがあった。知らせを受け義兄が妹をつれて帰った。妹を見て驚いた。脱脂綿を巻いたタオルから血がしたたり落ちている。継続的に出る血のしずく、それは牛の肝のような塊。妹は「水を下さい。死んでもいいから下さい。」と頼む。恨めしそうな顔を見て「少しよ。」と口に水を持っていった。しかし、飲んだはずの水は鼻から出た。血を出尽くして水を渇望しながら亡くなった。

戻る

Page Top