トップページ原爆の絵きのこ雲が西に流れ民家は崩れて土煙がすごかった。やけどした市民が声もなくゆうれいのように歩いていた。
識別コード | NG302 |
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絵の内容 | きのこ雲が西に流れ民家は崩れて土煙がすごかった。やけどした市民が声もなくゆうれいのように歩いていた。 |
作者名(カナ) | 岩澤 弘(イワサワ ヒロシ) |
作者名(英語) | Hiroshi Iwasawa |
当時の年齢 | 24歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:20頃 |
情景場所 | 宇品七丁目 |
情景場所旧町名 | 宇品町 |
情景場所現町名 | 宇品神田 |
爆心地からの距離 | 3,900m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵の中 いさわ **裏 原爆の悲惨な印象 2002.7.8 昭20.8.6 宇品にてヒ爆 岩沢 弘 **別紙 絵についてのコメント 場所 宇品七丁目 時間 8時20分頃 名前 岩澤弘 私は兵役で立川の高射砲第七聨隊に現役入営、その後曉部隊に転属し、被爆時は船舶司令部広島支部所属で司令部構内、宇品港内の警備隊の小隊長でした。少尉であった。被爆時はたまたま七丁目の木造平屋建ての臨時兵舍内に居て、間接的なピカッと光線を目にし、鉄棒でなぐられたような爆風を受けた。兵舎は半壊した。司令部衛兵所に向かったが青空には茸状の雲が靜かに西に流れ、民家はくずれて土けむりがすごく、電車道は頭はボサボサ、火傷の市民が声もなく、土人形の様で声もなく列をなして歩いてた。まるで幽霊の如くでこの世の状況ではない惨さであった。電車は8月末頃市中に出て、中心地近くの銀行の建物にヘバリついてるのをみて、爆風の強さに驚いた。これらの印象を描きました。 8月6日の夜から燃え続ける中心街をみ乍ら宇品住民区の警備についてました。その為か後遺症もなく申し訳もなくも今日まで生き永らえてます。トニ角沢山の輸送船が人命と、物資を積んだまま海に沈みました。一発で一瞬の間に20万人が死に生き残っても病に悩む、悲惨です。戦爭は無駄、無意味です。 地球上に殺し合いのなくなることを願ってます。人間は別な方法を考えるべきです。私のコメントとします。 終り。 平成14年7月8日 |
サイズ(cm) | 45.8×53.3 |
展示の説明文 |