トップページ原爆の絵年老いた常会長さんと2人で消火作業をする。2人の兵隊さんが来て何とかくいとめることができた。
識別コード | NG300 |
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絵の内容 | 年老いた常会長さんと2人で消火作業をする。2人の兵隊さんが来て何とかくいとめることができた。 |
作者名(カナ) | 望月 明(モチヅキ アキラ) |
作者名(英語) | Akira Mochiduki |
当時の年齢 | 15歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 牛田町神田区 |
情景場所旧町名 | 牛田町 |
情景場所現町名 | 牛田本町三丁目 |
爆心地からの距離 | 2,200m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 防火用水 消火器 防火 防火 防火 **裏 記 氏名 望月 明(もちづき あきら) 画 題 “私の住んでいた隣組” (注) 文中『』内が画題の記憶にある部分 被爆地 広島市 鶴見橋 (1.5km) イラストについて ・左端の全壊の家が我が家 ・隣が奧に深いこうりゃん畑. ・畑の隣が油で手当てをしてくれた右隣のおばさん ・手前の服の人が左隣の常会会長さん ・絵の中央が腕をやけどした本人 ・消火している二人が応援にきてくれた兵隊さん **別紙 『隣組の路地に入ったが人影もなくわが家も全壊し玄関のみ形を留めていた。声を掛けたが返事が無い…。すると真向かいのおばさん、右隣のおばさんが目に入ったが二人共放心状態で立っていた。隣の常会長さんは、明君“帰って来て良かった”と云いながらも、火災を恐れてか共同の防空壕へ衣類や布団など持ち出すよう云ってくれた。柱が倒れ壁が落ちた中から取り出す事は大変な事だったがやけどの痛みも忘れ荷を運び出し、一息ついたその時、右隣のおばさんはやけどをした両腕をみて手当てをするよう声をかけ「こうりゃん畑」の中からてんぷら油を取り出し手当てをしてくれた。常会長さんは消火器を準備しながら“風向きが変わると危ないから消火を手伝って”と体を休めるひまは無い。年老いた常会長さん二人と…。何ともやりきれない気持ちもしたが、気を持ち直し消火作業に掛かった。路地の向こう正面あたりからはもう火の手が上がっていた。火事場付近まで手動の消火器を運び、防火用水の水を運び消火を始めたが、二人なので火勢には叶わない…。どのぐらい経過したか二人の兵隊さんが応援に来てくれたので何とか食い止めることができたのであろう…。その後の記憶は定かでない。やけどのいたみと疲れで耐えられず崩れた玄関先に腰を下ろし、うとうとしていた…。どのくらい経過したであろう。母のこえで我に返った。』 |
サイズ(cm) | 26.9×37.9 |
展示の説明文 |