トップページ原爆の絵『アメリカが新型爆弾を投下した。市内に立入禁止』と立て札があった。踏切の向こうは火の海だった。
識別コード | NG299-02 |
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絵の内容 | 『アメリカが新型爆弾を投下した。市内に立入禁止』と立て札があった。踏切の向こうは火の海だった。 |
作者名(カナ) | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) |
作者名(英語) | Kichisuke Yoshimura |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)18:00頃 |
情景場所 | 愛宕踏切 |
情景場所旧町名 | 愛宕町 |
情景場所現町名 | 愛宕町 |
爆心地からの距離 | 2,400m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 アメリカが新型爆彈を投下した 広島には百年は草木も生えぬ 市内に立入り禁止 8月6日午后6時頃愛宕大踏切の所 **別紙 私は国鉄広島工場に勤務しておりました。警戒警報が解除になったのに、外でB29がおるどと云うので、大建屋の入口の所に行ったと同時、空が急に明るくなり、傘を広げた様にパーと閃光(熱線)が空から降って来たと思ったら、次の瞬間ドーンと音がして爆風に飛ばされてしばらく何もわからなくなった。ふと気がついて廻りを見たが眞暗で何も見えない。早く逃げなければと手さぐりで外に出る。と矢賀山の向うに巨大なキノコの様なもくゝとした雲が発生した。皆んなで矢賀山の防空壕に避難した。大分過ぎて職場に帰る途中、土手の上をユーレイの様な髪はばさゝ衣服は引き裂け皮膚はたれさがり今の世の人とは思えぬ姿で負傷者の群が声もたてず黙々と郊外へ逃げて行く。10時頃だろうか。非道極まる。暴挙だ。アメリカを憎んだ。今日の惨禍は死ぬまで忘れることはできない。矢賀駅は焼け残ったので芸備線はいつ来るかわからぬが、折り返し運転をしている。夕方になっても矢賀山の向うは黒煙と眞赤な空、市内は燃えている様だ。寮の友達と二人で愛宿の大踏切の所迄行くと、大きな立札が立っている。アメリカは新型爆弾を投下した。広島には百年は草木も生えぬ。市内に立入禁止と書いてあった。踏切りの向うは火の海だ。二人は顔を見合せ寮に引き返した。夜もゲートルを巻いたまゝ横たはると警報が鳴りだした。 場所=矢賀駅の近く 8時15分~1日中 吉村吉助 |
サイズ(cm) | 33.2×24.1 |
展示の説明文 |