トップページ原爆の絵教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。
識別コード | NG297 |
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絵の内容 | 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 |
作者名(カナ) | 西川 愛子(ニシカワ アイコ) |
作者名(英語) | Aiko Nishikawa |
当時の年齢 | 8歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 矢賀国民学校 |
情景場所旧町名 | 矢賀町 |
情景場所現町名 | 矢賀二丁目 |
爆心地からの距離 | 3,700m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 矢賀小学校 **裏 西川 愛子 **別紙 原爆投下後のある日 矢賀小学校の前の道路を通った時、教室の中は、大火傷の人、怪我人、水を欲しがる人、多勢の人が運びこまれ、横に倒れていました。 白髪を乱し白い布を纏ったおばあさんだけが座っていました。 トマトを両手で持ち、しゃぶりついて汁を吸っているようでした。 当時8才の私は、そこだけ異様な光景にうつり、おそろしくなりました。トマトの水分が、命の水だったのでしょうか。 夕方になると校庭の隅の遊び場の砂場で毎晩死体がやかれ葬られていました。煙をみながら、毎日行方の知れない二人を捜し歩いていた母の胸中、推し量ることはできません。 8月6日の朝、母は元気な父(夫で郵便局長)と姉(長女で山中高女1年)を見送りました。それが最後で、二人共行方不明のままです。かえっては、きませんでした。親戚総出で何日も捜し歩きましたが、何のてがかりもありませんでした。 母は、3年前87才で逝きました。母は、原爆の壮絶さ悲惨さ恨みなど、生涯一切口にしませんでした。私も母が健在でしたらこの原爆のえは、かかなかったでしょう。 今は、天国で父と姉三人で何でもはなすことが出来、ようやく、安らかに一緒に、眠っていることでしょう。 西川愛子 65才 |
サイズ(cm) | 31.8×40.8 |
展示の説明文 |