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トップページ原爆の絵強烈な閃光につつまれ、木造2階建ての校舎は倒壊した。夕方市内は焦土になっていた。

原爆の絵

識別コード NG296
絵の内容 強烈な閃光につつまれ、木造2階建ての校舎は倒壊した。夕方市内は焦土になっていた。
作者名(カナ) 南 昭三(ミナミ ショウゾウ)
作者名(英語) Shozo Minami
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 比治山下、広島工業専門学校
情景場所旧町名 比治山本町、千田町三丁目
情景場所現町名 比治山本町、千田町三丁目
爆心地からの距離 1,750m~2,060m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
MINAMI
**裏
画題
「あの夏の日の長い一日 1945.8.6」
2002年7月23日
南 昭三 画

**別紙
絵についてのコメント
画題 あの夏の日の長い一日(1945.8.6)
左上画 閃光(8:15)  
爆心地から南南東2kmにあった広島工業専門学校(現・広島大学工学部)機械科教室にて受講中に被爆した瞬間。
右上画 廃墟(夕暮れ時)  
東千田町3丁目の被爆現場から一旦、宇品の陸軍船舶隊構内に逃れた。その後、疼痛の激しい火傷を陽射しから庇うため日没を待って、西蟹屋町の学生寮に向けて歩き出す。比治山下を京橋川沿いに北上中、焦土と化した市街地を望見した。
中央画 
原爆ドームの心象的表現
左下画 阿鼻叫喚(被爆直後の教室)  
木造2階建て校舎の崩壊で落下した梁の下敷きになる者、熱風による火傷、爆風によるガラス片などの飛来による切り傷、裂傷を負う者など多数の重傷者が出た。
右下画 修羅場(9:30頃)  
戦時下の特例措置で被災当時キャンパス内では、9月末に卒業を控えた3年生、8月1日に初登校し9月中旬に日本製鋼所に動員派遣を予定されていた1年生が授業中で、多くの死傷者が出た。
作者: 南 昭三  
被爆状況:顔、腕に火傷を負う(当時17歳) 
サイズ(cm) 53×65.4
展示の説明文

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