トップページ原爆の絵焼け跡に横たわる多くの死体。みな黒焦げでパンパンに膨れていた。
識別コード | NG293-01 |
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絵の内容 | 焼け跡に横たわる多くの死体。みな黒焦げでパンパンに膨れていた。 |
作者名(カナ) | 松島 道枝(マツシマ ミチエ) |
作者名(英語) | Michie Matsushima |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)10:00頃 |
情景場所 | 白神社付近 |
情景場所旧町名 | 小町 |
情景場所現町名 | 中町 |
爆心地からの距離 | 490m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **絵の中 S.20.8.7 松島道枝 **台紙 松島道枝 **別紙 原爆の絵 No1 無情 時 昭和20年8月7日午前10時頃 場所 紙屋町横 旧日本銀行ビル南角 白神神社附近 原爆の日学徒動員で江波の新興ゴム㈱で被爆。17才でした。被爆建物の下敷になり気が付いた時は白いシャツが血で胸の当りが染っており自力で脱出しました。すでに友達も何人か広場に出ており先生の指導に従って、数人で行動を取る様に云はれ私達は今の東区の方に家があり方々で火が上っており、とても市内を通れるものではなく友達勿論下級生も連れて、井ノ口の学校へと待避して一夜を明かしました。当時は(実践女子髙等学校現在鈴ケ峯女子髙等学校)です。 そして翌日歩いて相生橋を通り、帰る途中で目にした情景です。当時は住家は尾長町にありました。小学校が袋町小学校を卒業したものですから自然に足がそちらを向いたものだと思います。 運命とは云へ澤山の犠牲の中で現在までも命を与えられている事の重みを毎年此の日が来ると手を合せ少しでも今後の平和の為になればと思います。 |
サイズ(cm) | 35.2×53.7 |
展示の説明文 |