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トップページ原爆の絵伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。

原爆の絵

識別コード NG292-02-16
絵の内容 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。
作者名(カナ) 相川 国義(アイカワ クニヨシ)
作者名(英語) Kuniyoshi Aikawa
当時の年齢 12歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 千田町の自宅
情景場所旧町名 千田町
情景場所現町名 千田町
爆心地からの距離 1,700m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
宇品へと、向ってる頃
父の兄、観音町に住んでたおじさんが三女が、行方不明となっていたので長女、次女を連れて探し廻ってる時千田町に、私と姉の事が心配で、がれきのみと化した我が家の焼あとに立っていた・・
私しの家の風呂は、五エ門風呂だったので風呂釜を目当に探し当てたとか・・・
そして、焼跡で二体の白骨化したのを見て絹代も国義も焼け死んでしまったのか、熱かっただろう・・・と、鉄カブトに灰を入れ、アバラ骨を折り、持ち帰った・・
戦後、再会した時、お前達、生きてたのか・・とビックリ仰天、じゃ、あの白骨体は他人だったのか・・・しかしお前達の身代りとなったのだから、大事に供養してやるよ・・・と云う
しかし、どうして我が家跡に、私しと姉くらいの白骨体があったのか、不思議でならなかった・・・どこからか、飛ばされてきたのかそれしか考へられなかった・・・
※作者の相川国義氏は、広島市で1945年8月6日に被爆。9日、逃れた先の長崎で入市被爆し、二重被爆(両市被爆)することとなりました。
サイズ(cm) 25.1×35
展示の説明文

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