トップページ原爆の絵父の友人の矢吹さんが捜しに来てくれた。矢吹さんの下宿先の似島に行くことになった。
識別コード | NG292-02-15 |
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絵の内容 | 父の友人の矢吹さんが捜しに来てくれた。矢吹さんの下宿先の似島に行くことになった。 |
作者名(カナ) | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) |
作者名(英語) | Kuniyoshi Aikawa |
当時の年齢 | 12歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 広島文理科大学(グラウンド) |
情景場所旧町名 | 平野町 |
情景場所現町名 | 平野町 |
爆心地からの距離 | 2,000m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 昨夜は泣き叫んでいた火傷で倒れていた人達はほとんどが、死んでいた・・これから姉と、どうしたらいいのか心細くてたまらなかった・・ そして、誰れかを探してる血だらけのおじさんが、こちらへと向って来る アレ・・・見た顔だなあ・・・と目と、目が合った時、お・・・お・・・お前達、生きていたのか・・・と大声で叫ぶ・・父の友人の矢次さんだった。作業場が近いからと似島にいた父は六月に、兵隊に取られてしまった・・父ちゃん、体が悪いからすぐ・・帰ってくるから・・・と云ったが軍隊から帰って来なかった。 矢次さんは、これから・・似島に行こう。寝る所も、喰べる物もあるぞ・・・ そして、宇品迄歩いて行く道々・・いたる所に黒コゲの死体・・やはり悪夢じゃなかった、現実だと・・・あらためて、生まれて、はじめて見る地獄図に震え上った。 ※作者の相川国義氏は、広島市で1945年8月6日に被爆。9日、逃れた先の長崎で入市被爆し、二重被爆(両市被爆)することとなりました。 |
サイズ(cm) | 25.1×35 |
展示の説明文 |