トップページ原爆の絵広島で一番の繁華街も無残に変わり果てていた。30人くらいの負傷者が泣き叫んでさまよっていた。
識別コード | NG292-01-30 |
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絵の内容 | 広島で一番の繁華街も無残に変わり果てていた。30人くらいの負傷者が泣き叫んでさまよっていた。 |
作者名(カナ) | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) |
作者名(英語) | Kuniyoshi Aikawa |
当時の年齢 | 12歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/8 |
情景場所 | 中国新聞社前 |
情景場所旧町名 | 上流川町 |
情景場所現町名 | 胡町 |
爆心地からの距離 | 870m |
ブロック別 | 銀山・幟地区 |
作者による説明 | **絵の中 広島で一番の繁華街の八丁堀も見るも無残に変り果てていた。広島で、このビルより高い建物を見た事がない・・・中国新聞社の七階建三階の窓に、自動車が突き刺っていた・・・うわ・・・凄い・・自動車も、吹き飛してしまう、爆弾恐しいな・・・宇品から歩いてきたが人の姿をほとんど見なかったのに・・・中国新聞社の廻りには、三十人くらいの被爆者が泣き叫んで、さまよっていた・・・死体の焼ける悪臭に、たまらず腕で鼻を押え、必死で死体や炎を避けながら、早くこの場から逃れようと・・・ ※作者の相川国義氏は、広島市で1945年8月6日に被爆。9日、逃れた先の長崎で入市被爆し、二重被爆(両市被爆)することとなりました。 |
サイズ(cm) | 25.5×36.3 |
展示の説明文 |