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トップページ原爆の絵大きな白い玉のようなものが空に上がりみるみる広がった。夜のように暗くなり黒い雨が降った。

原爆の絵

識別コード NG291
絵の内容 大きな白い玉のようなものが空に上がりみるみる広がった。夜のように暗くなり黒い雨が降った。
作者名(カナ) 伊豆野 キミコ(イズノ キミコ)
作者名(英語) Kimiko Izuno
当時の年齢 37歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所 安佐郡伴村の自宅
情景場所旧町名 安佐郡伴村
情景場所現町名 安佐南区沼田町伴
爆心地からの距離 8,900m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
原爆の朝主人は伴の自宅から五時頃、はじめて人員疎開で可部の地方事務所に出かけました。着いたところでピカッと光りドーンと大きな音を聞き早速県庁に電話したが音沙汰ないので、すぐ自転車で広島に向かいましたが横川からは火の海で行かれず三滝の元の我が家まで行ったものの近くまで火がせまって来ていたのでどうにもならず帰って来た

翌日より職員の不明者を市内に捜してあるいて左官町でその人が見つかり車(大八車)にのせて八木の家まで届けて帰宅したが鼻血を出して(十日ばかり)寝込んでしまいました。

私達は元三滝町に居住して居りました 戦爭は益々厳しくなりましたので一家で疎開したのが六月中旬でした(沼田町伴へ)


私の行動は八時前頃でしたか空襲警報が鳴った。子供達は朝食をしていました。私は、幼い子を(三才)便所に連れて行っていたら、ブンゝゝの音に丁度トラックが重い荷物をのせて坂を上がる音のようでした 此の頃トラックなんか居ない筈なのにと思っていた瞬間ピカッと光りしばらくしてドーンと大きな音でびっくり近くの役場に落とした爆弾だと思っていたら子供が食事中水屋の中の品々が吹き飛んで落ちびっくりして泣きながら母ちゃんと二人の子供がすがりつき、あの山を・・・と言うので見れば大きな白い玉のようなものが上がって居り、とうゝ広島市中へ落としたのだ-と言って・・見ている内に広がっていった。

八月六日主家の奥で子供の鳴き声が聞こえるので、よく見ると、襖障子がない(カヤの中に)カヤは其の儘でその下で泣いていた。子供を連れ出した。戸外は見る間に暗くなり風に吹かれて色々なもの(トタンとか板や紙切れなど吹きとんで落ちて来たそして雷雨となり(黒い雨)夜のような状況となった。主家の両親と兄夫婦は松の油を取るため山に行っていた 雨のため帰宅して被災にあわれて帰って来られる人達のために、婦人会が集まっておむすびを作って道路に持って行って食べてもらわれたとの事でした。私は妊娠八ヶ月で子供の守りだけで何も出来ませんでした。


広島は燃え続けて夜は山の上は眞っ赤でした。

天井板は大きな口をあけていました
火葬場は毎日ゝ何ヶ月もゝ煙の堪える日はなかった。
眞っ赤な夜空はだんゝと広がり何日もゝ燃え続けていました
**裏
平成十四年七月
伊豆野キミコ
(九十四才)
サイズ(cm) 35.3×51.6
展示の説明文

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