トップページ原爆の絵全身に大やけどを負い水を求める母子。背中の赤ん坊はすでに死んでいるようだった。
識別コード | NG288-01 |
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絵の内容 | 全身に大やけどを負い水を求める母子。背中の赤ん坊はすでに死んでいるようだった。 |
作者名(カナ) | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) |
作者名(英語) | Takato Mori、Hasue Mori |
当時の年齢 | 22歳、22歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)18:30頃 |
情景場所 | 富士見町付近 |
情景場所旧町名 | 冨士見町 |
情景場所現町名 | 冨士見町 |
爆心地からの距離 | 1,100m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **裏 森 孝人 **別紙 水を飲ませて下さい 日時―昭和20年8月6日午後6時30分ごろ 場所―広島市富士見町あたり その時の町の状況 〔・私は広島師範学校(当時校舎は東雲本町)に在学中。級友は動員により呉海軍工廠に行っていた。私は学校に残されて軍事教官室で事務を命じられていた。 ・その日夕方、学校の被害状況報告書を携えて軍管区司令部に向かっていた。〕 状況 通常渡る京橋の付近は火災のため近寄れず、南下して比治山橋を通ることにしました。 避難している人々で溢れている比治山橋をやっと渡ってみると、そこは見渡すかぎりの焼け跡でした。焼け残りの材木等から煙が立ちのぼり、コールタールのような異臭が漂い、屍があちこちにある異様な状態で、とても昨日までの広島の町とは思われません。 「日本は負けた!」こみ上げる涙をおさえながら行くと、赤ん坊を背負い小さな男の子の手を引いた母親がよろよろしながら近づいて来ました。 見れば三人とも殆ど全身裸で大ヤケド。母親は肩や胸の皮膚がめくれて垂れ下がっています。目は見えぬらしい。背中の赤ん坊はどうやら死んでいるらしい。男の子の手を引くというより母親が男の子に手を引かれているようです。 近づくと「水、水を飲ませて下さい。今朝から飲んでいないのです」母親は小さな声で言いました。 「ヤケドした時、水を飲んだらいけませんよ」と言うと、「お願いです。死んでもいいから飲ませて下さい」と言います。私は困ってしまいました。 全身ヤケドの三人は果たして助かるだろうか。私の頭の中は混乱してしまいました。その時、さっき来る道端にあった手押しポンプがふと頭に浮かんできたのです。 そして「では私について来て下さい」と言ってしまったのです。 私は良いことをしているのか、悪いことをしているのか分からないまま後戻りをしたのです。 やっと手押しポンプのある所まで戻って、「ここに手押しポンプがあります」と言って指さしたその時です。 ポンプの傍らに倒れていた中年の男性が突然頭を上げ、とても恐ろしい形相をして叫びました。 「ヤケドして水を飲むな!水を飲むと死ぬぞ!」私は初めて目が覚めたように後悔の気持ちで一杯になりました。 取り返しのつかない事をしてしまった。その場にいたたまれなくなってすごすごと逃げるようにして帰りました。あれから57年になります。あの親子三人はどうなっただろう。あの中年の男性はどうなっただろう。忘れることは出来ません。 またあの日あの時、私がしなければならない最善の方法はなかったか。後悔でいっぱいです。 どうか幸せにいてくれますよう祈らずにはおられないのです。 付記―私の体験記「ああ!あの日あの時」のP17~19をご覧ください。 |
サイズ(cm) | 26.9×37.7 |
展示の説明文 | 水を求める母と子 爆心地から1100m 富士見町付近 1945(昭和20)年8月6日 18:30ころ 森 孝人(原爆投下当時22歳、絵を描いた時79歳) 絵中解説 赤ん坊を背負い小さな男の子の手を引いた母親が、よろよろしながら近づいて来ました。見れば三人ともほとんど全身裸で大やけど。母親は、肩や胸の皮膚がめくれて垂れ下がっています。目は見えぬらしい。背中の赤ん坊はどうやら死んでいるらしい。男の子の手を引くというより、母親が男の子に手を引かれているようです。近づくと「水、水を下さい。今朝から飲んでいないのです」母親は小さな声で言いました。 |