識別コード | NG286-01 |
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絵の内容 | 火葬のため学校に運ばれる子ども。 |
作者名(カナ) | 八木 久子(ヤギ ヒサコ) |
作者名(英語) | Hisako Yagi |
当時の年齢 | 23歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 比婆郡庄原町 |
情景場所旧町名 | 比婆郡庄原町 |
情景場所現町名 | 庄原市 |
爆心地からの距離 | 72,400m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 H.YAGI **裏 八木久子 八十才 元水彩連盟準会員 **別紙 昭和20年3月東京の爆撃を逃れ、9ヶ月の小児が栄養不良になったので父の実家広島庄原市へ疎開しました。 割合平穏で田舎の事でお米は充分食べる事が出来た。 8月に入って訳の解らない物が広島市に落ちたそうだと田舎で口々に噂した。 その内藝備線の沿線の病院、学校と云う学校まで罹災者で一杯になり遂に汽車で2時間半かかる庄原市まで罹災者が小学校、病院、施設まで1杯になり、毎日毎日朝から夜まで火の絶える事なく遺体を焼いたのでした。 主婦まで出て運んでは焼きました。 その時、学校へ運ばれる小児の様子です。 まるで地獄とはこの事です。 きっと、此の子は生きても天涯孤独と思います。 私は現在80才7ヶ月です。此の大戦争はさける事が出来なかったのでしょうか。毎日の様に思います。 |
サイズ(cm) | 152.5×117.5 |
展示の説明文 |