トップページ原爆の絵司令部の門前には負傷者が横たわっていた。赤ん坊が泣き出し母親は私たち兵隊をにらんだ。
識別コード | NG284-01 |
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絵の内容 | 司令部の門前には負傷者が横たわっていた。赤ん坊が泣き出し母親は私たち兵隊をにらんだ。 |
作者名(カナ) | 田口 清三郎(タグチ セイザブロウ) |
作者名(英語) | Seizaburo Taguchi |
当時の年齢 | 31歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 陸軍船舶司令部門前 |
情景場所旧町名 | 宇品町 |
情景場所現町名 | 宇品海岸三丁目 |
爆心地からの距離 | 4,790m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **裏 昭二十年八月六日午前九時前後 広島原子爆弾被爆者 宇品曉部隊門前で 合掌 田口清三郎 八十八才 南無妙法蓮華經 南無阿彌陀佛 南無大慈大悲觀世音菩薩 合掌 日本国民は平和産業に集中し 平和に暮らせます様祈り奉る 悪因縁たち切り給へ 合掌 **別紙 私は曉部隊の召集兵でした。金輪島の舟艇部隊です。八月六日上司の命令で宇品の曉部隊へ○○○を取りに班長共五人で手こぎ舟で朝八時すぎ出発しました。しばらくして光がシュシューとピカゝゝと数回しました。空襲警報が鳴りました。飛行機が通った後、松茸の形のした雲が落ちて来てだんゝとくずれ大きく広がり真っ白になりましたが、青空に戻りました。やっと宇品につき、部隊の門前まで行きました。見た瞬間、班長が「帰れ」と大声で号令をかけました。被爆者のひとかたまり並べてありました。中から赤ちゃんを抱いていた母子の赤ちゃんが泣きました。母親はパッチリ目を開き、ちちを出していました。そして私達兵隊を睨み見上げました。五十有余年経っても、私の脳裏からその光景がはなれません。 南無妙法蓮華經 南無阿彌陀佛 南無觀世音菩薩 合掌 場所―宇品曉部隊門前 時間―八月六日九時前後 田口清三郎(88才) |
サイズ(cm) | 91×73 |
展示の説明文 |