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トップページ原爆の絵欄干にもたれて立ちつくす上半身裸の人。時間を聞こうと近寄ってみるとその姿勢で亡くなっていた。

原爆の絵

識別コード NG283-04
絵の内容 欄干にもたれて立ちつくす上半身裸の人。時間を聞こうと近寄ってみるとその姿勢で亡くなっていた。
作者名(カナ) 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ)
作者名(英語) Tsuneaki Suzuki
当時の年齢 13歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7か、8/8
情景場所 栄橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,510m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵の中
8月6日、東蟹屋町の自宅で被爆。(2.7km、半壊)
さらなる空爆におびえて、その後毎晩、古市の親せきまで、母・私・妹二人の四人で泊りに行った。もちろん電車も汽車も動かず、徒歩である。この絵は、8月7日か8日のたそがれ時のこと。栄橋にさしかかると、欄干にもたれて立ちつくす、上半身裸の人影があった。腕時計をしているので、今何時か尋ねるようにとの母の指示で近寄ってみると、放心したように川面を見つめたまま微動もしない。返事もしない。よく見ると息もしていない。顔に二・三筋の血、丸坊主、大柄な中年の男性だった。幟町・白島方面では、夕闇の中でまだあちこち鬼火のような火の手。焼け跡の残り火か死体を焼く炎であったか。その炎に照らされて、橋上の人影は黒いシルエットとなって、どこまでも私たちを追いかけてきた。
横川から旧国道に入ると、道ばたの竹やぶには多勢の被災者が、蚊帳をつり、ろうそくを灯して野宿していた。途中で陸軍の将校らしい男(乗馬ズボンに革の長靴、丸腰)が現われ、同行してくれるので、心強く思っていたが、祇園町あたりで空襲警報が鳴ると、「手ぬぐいを持っているか。毒ガス弾だったら、マスクをしないといけないから。」と言う。私が出そうとすると、母が、ものすごい目くばせで制止した。結局、男とは何事もなく、古市で別れたが、あとで母が、きびしく叱って言うには、「私は、首を絞められるのではと直感したんだ。」と。以上、被爆直後の、今もありゝと心の中に残る恐怖の体験である。
幟町、白島方面
川(京橋川)
栄橋
サイズ(cm) 25.7×36.3
展示の説明文

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