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トップページ原爆の絵川には死体が折り重なって浮かんでいた。全身やけどの赤ん坊を背負った母親や血まみれの男女が歩いていた。

原爆の絵

識別コード NG280-02
絵の内容 川には死体が折り重なって浮かんでいた。全身やけどの赤ん坊を背負った母親や血まみれの男女が歩いていた。
作者名(カナ) 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ)
作者名(英語) Hiroshi Onishi
当時の年齢 12歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)9:00頃
情景場所 比治山橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,710m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵の中
比治山橋の惨状
比治山橋は東側の欄干が一部壊れ川には無数の死体が浮かんでいる。
水を求めて全身やけどの人達が次から次へと橋の上から飛び込んでゆく。
私は隣りの小母さんが運んできた布団を持って頂戴と頼まれたが頭から流れる血で目が見えなくなり布団はずるずると落ちてゆく。
比治山橋
**別紙
(二) 比治山橋
一面瓦礫の上をすでに焔があちこち上がっていて道路も良く判らない状況で、倒れた電柱についた電線が散乱している上を素足で小走りに歩く。電線を踏むと感電死するのではないかと危ぶみ乍ら方角も判らず、ひたすらあるく。だんだん周りの人数が増えてくる。皆血まみれや全身やけどで人間というより正に幽鬼の群れと見まがう人達が、殆ど一メートルおき位にかたまって動いている。
依然頭から流れ出る血が眼の中に入るのをぬぐい乍ら、すでに家に帰ろうという気も起こらず人の流れに沿って歩くと、間もなく比治山橋にさしかかった。
「やあ、大西さんのところのボクだね。これを持って」横を見ると、私の家の隣りに住んでいる荒川さんの小母さんが布団を持って歩いている。娘婿が陸軍中佐であることが自慢であった人が持っていた冬の掛けぶとん一枚を渡してきたので持ってあげたが、重いのと眼に血が入るのとでずるずると下に落ちる。小母さんは「しようがないわね」と言いながらすぐにばらばらに別れてしまう。
「よう、大西かあ。僕だよ、田原だよ」又横を見ると竹屋小学校同級生の田原君が殆ど裸で両手を真横に伸ばして歩いている。伸ばした両手の爪の先に腕の皮膚がだらりとむけて五〇センチ位真下にたれ下がっている。裸の状態で顔も身体もやけどで赤黒くなっており、本人が名乗って初めて田原君と判ったが、すぐに離ればなれとなる。
気が付くとそこは比治山橋の上であった。横を見ると橋の西側の欄干は残っているが、東側は一部が川の中に落ち、下にはやけどや傷を負った人達が何人も飛び込んでおり、死体が折り重なって浮かんでいる。何体もうつぶせになって川下に流れているのが目に入る。

真夏の晴天朝九時ごろなのに、全体が薄暗い中を全身やけどの赤ん坊を背負った母親や血まみれの男女がぞろぞろと同じ方向に歩いている。それぞれが「痛い」とか「水が欲しい」とか叫んでいるのが、一瞬途切れて何も聞こえなくなり無声映画の中を歩いている心地である。中年の男性がやけどでまっ黒になって大八車をひいている。その後を女学生らしい一団が五・六人顔中血だらけになって歩いている。正に幽鬼の群れである。
サイズ(cm) 21×29.6
展示の説明文 川に無数の死体、飛び込む人々-比治山橋の惨状-
爆心地から1700m 比治山橋
1945(昭和20)年8月6日
大西 比呂志(原爆投下当時12歳、絵を描いた時69歳)
絵中解説
比治山橋は東側の欄干が一部壊れ、川には無数の死体が浮かんでいる。
水を求めて全身やけどの人たちが、次から次へと橋の上から飛び込んでゆく。
私は、隣のおばさんが運んできた布団を持ってちょうだいと頼まれたが、頭から流れる血で目が見えなくなり布団はずるずると落ちてゆく。

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