トップページ原爆の絵多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。
識別コード | NG279-05 |
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絵の内容 | 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 |
作者名(カナ) | 山本 八重(ヤマモト ヤエ) |
作者名(英語) | Yae Yamamoto |
当時の年齢 | 19歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 己斐 |
情景場所旧町名 | 己斐町 |
情景場所現町名 | 己斐上 |
爆心地からの距離 | 3,700m |
ブロック別 | 己斐・草津地区 |
作者による説明 | **絵の中 (5)ここは己斐 **別紙 己斐についた私には、休むことの出来る広場がありました。多くのケガ人が運ばれていました。そこは広場でむしろをしいてそこに並べて寝かされていました。皆焼けこげて男か女かもわからない状態でした。皆てんでに 水をください・・・・ 痛い・・・ 助けて・・・。 兵隊さん助けてください。 お母さん・・・・。 等々、皆勝手にさけんでいました。 ようやくのことで水をもらった人は息たえていきました。多くの人たちが・・・。 私はそこでやすんでいました。そこには異臭が鼻をつき、生きたここちはありませんでした。生きている人がお互に助けあっている様は、今でもとても印象に残っています。昔の人は仲がよかったのでしょうか。 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |