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トップページ原爆の絵己斐から満員の路面電車に乗り土橋の電停近くでものすごい光を見た。

原爆の絵

識別コード NG279-02
絵の内容 己斐から満員の路面電車に乗り土橋の電停近くでものすごい光を見た。
作者名(カナ) 山本 八重(ヤマモト ヤエ)
作者名(英語) Yae Yamamoto
当時の年齢 19歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 土橋電停付近
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 800m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
(2)土橋電停(紙屋町へ向って)
土橋電停
**別紙
昭和20年8月5日
私はその頃己斐の叔父夫婦の家に同居していた。叔父は岩国の憲兵隊にいて叔母と子供2人と私がいた。5日の日叔母は子供をつれて田舎の実家に帰った。
その夜私は一人だった。その晩叔父は何の知らせもなくひょこんと帰ってきた。私は、夕食と朝食をしなければならず朝いつもの時間よりおくれて家を出た。

8月6日
急いで己斐駅に行ったが前の電車が目の前で出発し間にあわなかった。
致方なく次の電車に乗った。一番なので中に入り出やすくするため一番後車掌さんの所まで行った。
その頃の電車は運転席(前)の方からのり、後から降りるようになっていた。私のほかにも車掌さんの所に立った人は沢山いた。
発車した。満員電車だった。土橋の電停の近くもうすぐと云う所でものすごい光をみた「脱線した」と思ったがそれ以後何もわからなくなった。
電車は運転席から中に入る時、戸があった。出る所にも戸があった。そんな訳で私は飛ばされたように思う。中の人は出られなくて「死んだ」かどうかもわからないが電車をみる事は出来なかった。もし知っていられる方があったら教えてほしいです。
電停の近くは当日建物疎開で建物が少しなくなっていたが当日も作業が行われる予定なので沢山の学徒動員があってものすごい人出だった。
アメリカはこの情報を知ってわざと多くの人が出る日を選んだのだろうか。
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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