トップページ原爆の絵祖父が畑に用意してくれた寝床で家族4人で野宿する。火災で夜空は真っ赤に染まっていた。
識別コード | NG278-01 |
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絵の内容 | 祖父が畑に用意してくれた寝床で家族4人で野宿する。火災で夜空は真っ赤に染まっていた。 |
作者名(カナ) | 八島 猛(ヤシマ タケシ) |
作者名(英語) | Takeshi Yashima |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)夜 |
情景場所 | 皆実町 |
情景場所旧町名 | 皆実町 |
情景場所現町名 | 皆実町 |
爆心地からの距離 | 2,300m |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | **絵の中 T.Y **裏 昭和20年8月6日夜 野宿の思い出 **別紙 (その1.)被爆当夜の野宿 昭和20年8月6日、私は矢賀町の勤務先(旧.広島鉄道局広島工機部)の現場事務所内で被爆しました。 爆風によるガラス破片での傷の手当てをして貰い、市内の異状さを感じ、早退届けを出し帰宅しました。 帰宅途中、市内から郊外へと全身火傷の被爆者が、列をなして逃げ惑う人々とすれ違いながら、迂回して帰宅しました。 ああ、わが家(皆実町)は、類焼からは免れたものの、半倒壊!家財はメチャメチャ・・・入ることも出来ない有様。家族の姿が見えないので、近くの避難場所を探し、やっと母と弟を見つけました。姉も程なく帰って来ました。お互いに、少々怪我をしているものの、無事を喜び合い、今後の行動について対策を打ち合わせました。結論は、母の実家(皆実町の東端)へ行くこととなり訪れました。 実家は被害を受けていましたが、わが家ほどではなく、祖母の作ってくれたおむすびを皆んなでむさぼりました。祖父は、私たち4人のためにと、近くの畑地にむしろを敷き、布団を敷き、蚊帳を吊って、にわか造りの寝床を造ってくれました。野宿の初体験です。 西方(市中心部)は、燃え続ける火災で、夜空は真っ赤に染まっていました。 (手前から、私、弟、母、姉です。) |
サイズ(cm) | 23.5×33 |
展示の説明文 | 野宿の初体験 1945年(昭和20年)8月6日 夜 八島 猛 (原爆投下時16歳、絵を描いた時73歳) 【作者のことばから】 母の実家に行くことになりました。祖父が私たち4人のために、近くの畑地にむしろを敷き、布団を敷き、蚊帳をつってにわかづくりの寝床をつくってくれました。野宿の初体験です。 西のほうは燃え続ける火災で、夜空は真っ赤に染まっていました。 |